血道一直線!第1回「アラブの春にケツ道一直線!」

私は「血道」と書いて「ケツドウ」と読む。

通常、「血道(ちみち)をあげる」とは、色恋や道楽などに熱中するあまり、分別を失ってのぼせあがる状態を言うが、私の場合、「のぼせあがる」程度にはとどまらない。

「なにこれすごい!」「なにそれ知りたい!」――衝撃を受ける物事や人と遭遇してしまうと、瞳孔が全開すると同時に全身の血管が収縮、どどどどどっと肝臓を中心とした激甚な身震いが起きて、両手足と脇から汗が噴き出す。そしてたちまちオール・オア・ナッシング、「そのことだけが、あたしの興味!」という常軌を逸したゾーンに突入するのだ。

ゾーン入りした私を目撃した人々からは「眼が血走っていた。実際、血のかたまりが白眼にあった」「口が半開きで猫背で覚醒してた」「まばたきをしていなかった」などの目撃証言が相次ぐ。「怖いから話し掛けるのをやめていた」という談話もある。そのまま距離をとられて現在まで避けられ続けている人もいるかもしれない。

だが、わかっていても、ゾーンに入ると制御不能になってしまうのだ。これを「ちみちをあげる」程度の言葉で表現されても、私にとっては割に合わない。それはまさに極道、地獄道、阿修羅道などと同じく、ある種のおっかなさを伴う、サンスクリットな音読みの勢い!

ケツドウ一直線である!

***

2011年初頭。いろいろあって心身を壊して入院し、結婚生活を終えて都内のアパートで一人暮らしをすることになった頃のことだ。当時は人生の大失敗のなかで、罪悪感と憤怒の炎で自分を焼き尽くしており、燃え残った生木のくすぶる焼野原を、すすだらけの足でさまよい歩いているような心理状態だった。

その頃は、ネット通販の商品案内記事と写真撮影を専門とするライター兼カメラマンをやっていた。以前は依頼があれば東北の家具店から下関のとらふぐ調理場まで出向いていたが、その気力もなくしてしまい、近場の仕事だけを引き受けるようになっていた。

空いた時間は、当時出始めだったツイッターの画面を眺めてボーッとするばかり。目的もなく、くらげのように浮遊する日々だった。

2001年1月、「焼身自殺」が流れて来た

そんな1月下旬のことだ。なにやらエジプトで騒乱が起きているという投稿が流れて来た。若者の焼身自殺が引き金となり、エジプトで民主化を求めるデモ隊が集結しているという内容だった。

エジプトには縁もゆかりもないが、「焼身自殺」という言葉がやけに衝撃的だった。昔、ベトナムでの仏教弾圧に抗議するために、蓮華座を組んだまま焼身自殺する禅僧の写真を見たことがある。微動だにしない姿が脳裏に焼き付いてしまったが、その輪郭がよみがえってきた。

引きつけられるように、関連情報を読んでみると、発端はチュニジアらしい。

2010年12月、失業中のチュニジアの青年が、一家9人の食いぶちを稼ぐために、路上で野菜の無許可販売をしていたところ、摘発を受けた。その際、市役所の女性職員から顔面を平手打ちされるなど屈辱的な扱いを受け、苦情を訴えたものの聞き入れられず、絶望した青年は、市役所の前でガソリンをかぶって抗議の焼身自殺を図ったという。

ツイッター上には、イスラム教において焼身自殺がいかにタブーなのかを力説している人がおり、この事件がどれほど影響力の大きなものなのかがよく伝わって来た。「アラブの春」のはじまりだった。

この日はじめて、チュニジアの若者の失業率が30%近くにのぼること、この焼身自殺がきっかけで、23年間もの長期に渡り独裁政権に君臨していたベン・アリー大統領が国外逃亡していたことも知った。

(だ、大統領が国外逃亡!?)

 ベン・アリーの写真を見ると、彫りが深くて、眉間に眉と目が集まっており、すごく金持ちそうですごく悪そうな顔だった。延々とこの顔が独裁する国に育ち、青年になっても貧困を余儀なくされて、タブー中のタブーである焼身自殺で人生を終えるなんて。しかも悪そうな奴はさっさとトンズラとは……。

さらに衝撃はつづいた。ツイッター上で、「焼身自殺がどんどん拡大している! エジプトで4人、アルジェリアで7人、モーリタニアで……」など各地の焼身自殺情報を投稿しているアラブ通の人がいたのだ。

(しょ、焼身自殺が拡大!?)

チュニジアの青年の“禁じられた焼身自殺”の衝撃が、隣国に飛び火しているらしい。エジプトでは、ホスニー・ムバラク大統領の30年間におよぶ長期独裁に抗議する飲食店経営の男性が、議会の前でガソリンをかぶったという。

「ついにはじまった! 民衆蜂起だ! インティファーダだ!」

 アラブ通の人は大興奮して「ホーキホーキ!」と連発していた。

私は夢中で情報をかき集め、カタールの衛星放送「アルジャジーラ」が一連の様子を24時間生中継していると知り、見はじめた。カイロ中心部のタハリール広場に群衆の集まる様子が見える。

 言葉はわからないが、弾丸を拾った人が興奮した様子でしゃべっていたり、『打倒ムバラク!』と書いた横断幕を広げる人が出てきたりする。広場の人はどんどん増えて、夜になるとオレンジ色のライトが灯りはじめた。

アルジャジーラを見はじめた

 ……「夜になると」とさらっと書いたが、この時点ですでにゾーンに入り、丸一日アルジャジーラを見ながら、アラビア語翻訳アプリを使って現場の様子を書いた記事やエジプト人のツイッターを翻訳しつつ、アラブ世界について調べ上げるという作業にのめり込んでいた。机の上にはどんぶり飯と急須。

ネット上には、日本人のアラブ通が、興奮した様子でツイッター上に実況中継しているのだが、情報だけ広めてくれればいいのに、いちいち「ま、日本のメディアでは取り上げられそうにありませんがね」とか「日本の速報は、情報が遅すぎてまるで速報の体を成していませんね」とか居丈高なコメントを挟んでくるので、イラッときて「お前には世話にならねえよ!」と思ったのだ。

 アラビア語の翻訳は困難を極めた。コピーして翻訳アプリに投入するのだが、アラビア語は横書きでありながら右から左に文字が書かれている。思ったようにマウスの動きに反応してくれず、数時間もやっていると手首がキリキリ痛んだ。

『リビアは、群衆がデモ化するのを防ぐために国内すべてのサッカーの試合を中止したらしい』

『明日はタハリール広場に100万人が集まるぞ』

『スーダンでもデモが起きた』

『おい、アルジャジーラが映らなくなった!』

『こちらモロッコ、なにも映らないよ』

『アルジャジーラは、放送が届かない地域のために、写真サイトで静止画を連続投稿しはじめた。URLは~』

『中国ではブロックされていて見えません』

『タハリール広場が天安門広場になりませんように……』

『エジプト国営放送が、アルジャジーラを見るなと呼び掛け中』

 見るなと言われると、ますます見たくなる。私はエジプト国営放送の呼びかけを無視して、アルジャジーラの画面にくぎ付けになっていた。

 翌日はさらに大変なことになってきた。タハリール広場に戦車が集まり、人々の上空を戦闘機が何度も低空飛行するのだ。かなり威圧的である。現地の軍事マニアのエジプト人によれば、F16戦闘機らしい。よく知らないが、危なそうだ。轟音がアルジャジーラのスタジオにも響き、放送中の音声もかき消された。いつ天安門事件のような惨劇が起きてしまうのか、気が気でなかった。

4画面体勢で監視はじめる

アルジャジーラには、スーツのキャスターが英語で放送する「アルジャジーラ・イングリッシュ」と、頭を紫色のスカーフで覆った女性ジャーナリストが登場する「アルジャジーラ・アラビア」のチャンネルがあった。

アラビアの女性ジャーナリストがとにかく超絶美女で、目が離せない。あまりに美女なので調べると、エジプトを離れている時はスカーフをはずしており、パーマをかけた黒髪に黒革のパンツ、サングラスにくわえタバコという姿だった。

(し、痺れるう…!)

アラビア語はほぼ不明だが、彼女の顔が見たいので、メインのパソコンでイングリッシュを、サブの小さなノートパソコンでアラビアを開いて、2台で2つの放送を同時に監視する体勢を作った。

さらに、ドバイの衛星放送「アルアラビーヤ」から、投石中の映像が飛び込んできたので、チェックしなければならなくなり、こちらはスマホで見ることにした。テレビは、比較的アラブ情勢の多いBBCに合わせた。これで4画面だ。

エジプト国営放送も試みたが、ダメだったので、ツイッターで「エジプト国営テレビを実況中継しているエジプト人」を見つけてチェックした。どうやら、国営放送はタハリール広場の映像を一切流さなくなったようだ。

نعسان نعسان نعسان نعسان」「يعني غير معروف يعني غير معروف
taihenna kotoga okiteimasu!」「انه صعبانه صعبانه صعبانه صعب

連日4つの画面から、呪文のような音声がそれぞればらばらに聞こえて来る。

最初は、あっちもこっちも物騒で目がまわったが、結局、全部が何を言っているのかよくわからないので、だんだん環境音のように感じられて、むしろ落ち着くようになってきた。なんとなく全体の音を流し聞きつつ、変化があれば注目する。

原稿の締め切りがあったので、アルジャジーラ・イングリッシュの画面の脇で超高速で書き上げた。あんなに仕事を早く仕上げたことはない。

牛乳と焼きそばパンを買い込む

アルジャジーラの映像には、5~6階建ての建物の窓から、戦車に向かって椅子やらテーブルやらを投げ落として抵抗する人の様子が映っていた。しかも、投げている人の中に、スカーフを被った女性がいた。

エジプトの女性はてっきり男尊女卑で抑えつけられているのかと思っていたのだが、この騒ぎに乗じたのか、エキセントリックになっているのだ。タハリール広場の群衆も男性ばかりに見えていたが、『ムバラクを死刑にしろ!』と書いたプラカードを持つ女性たちもいた。

建物の上から家具を投げ落としていた人たちは、やがて外壁のレンガをはがして屋上から投石しはじめていた。食事を作る時間が惜しくなり、コンビニへ走り、牛乳パックと焼きそばパンを買い込んだ。

『エジプト政府、アルジャジーラを締め出すためにネットをブロック!』

『ムバラク大統領の指示により、鉄道、銀行、電話はすべてダウン!』

『アルジャジーラは、エジプト政府には屈しません!』

『アルジャジーラは衛星電話の回線を使って、エジプト国内の特派員と通信を行う。なんらかの方法で報道を続行する』

 アルジャジーラ・アラビアの画面はほとんど映らなくなり、美女の姿も見られなくなったが、別のサイトで記者たちの音声を留守番電話に録音したものが続々と配信されるようになった。本当かどうかわからないが、国際的ハッカー集団の一部が、衛星電話の回線をジャックしてアルジャジーラに提供したという。だが、なにを言っているのか聞き取れない。

聞き取れないが、どえらいことにはなってきた。

『武装集団がエジプト国内の刑務所を襲い、数百名の原理主義組織メンバーと囚人を解放した模様!』

『エジプト国営放送は、アルジャジーラを見るな、国営放送だけを見ろと再度呼びかけている』

『タハリール広場には200万人の群衆がつめかけて打倒ムバラクを叫んでいる!』

(に、200万人のデモお!?)

アラビア語の記事では、一時期ムバラクが国外逃亡するようだという情報が出回っていたが、その後の音沙汰がない。軍事行動に出るのか? それともベン・アリーのように国外逃亡してしまうのか?

アラビア語でエジプト人に情報求めてみる

連日パンを牛乳で流し込みながらアラビア語に囲まれていると、鎮圧のためにエジプト社会をダウンさせていくムバラクの動向が気になりはじめた。国外逃亡の兆しはあるのか? 

そこで、ツイッターでがんがんエジプト人に向かって、アラビア語で「ムバラクは今どこにいるんですか?」と聞いてみた。だが、誰も反応してくれない。

日本人だからかもしれないなと思い、新しいツイッターアカウントを作って、タハリール広場の写真をアイコンにして、アラビア文字で名前を書き込み、すごく関心があるように示した。

それでもエジプト人は誰も反応してくれない。そうか、エジプト人は目下、革命で忙しいのに、ツイッターで変な奴に「ムバラクどこにいるの?」と聞かれても「知るか! むしろお前が教えろ!」って感じだったかもしれない。

英語のチュニジア人から謎の書類もらう

そこで、エジプトに関する投稿をしている、英語の外国人に向かって「ムバラクのインフォメーションプリーズ!」と訴えかける作戦に転じた。

するとなんと、チュニジアの国旗をアイコンにした、英語が少しわかるチュニジア人から反応があった!

アラビア語と英語で、海外との懸け橋になる投稿をしているようだった。チュニジアも忙しそうなのに、一体どういう状況の人なのかよくわからないが、カタコトの英語で私に「ムバラクは亡命不可能だろう」という見通しを送ってきて、極秘資料があるからメールアドレスを教えろと言ってきた。

それで、使っていない捨てアドレスを教えると、すぐに数枚の画像送られてきた。いずれもアラビア語の書類の写真だった。金色で装飾や型枠が箔押しされているもの、裏が透けるほど薄い紙にスタンプが押されたものなどがあり、いずれも手書きのサインが書き込まれていた。

メールの本文には、カタコトの英語で説明があった。

「極秘のムバラクペーパーだ。500億円の資産をなんとか銀行からどこかの誰かに送金したという証拠になる重要な公文書だ」

……というような感じに読めたが、正確なところはわからなかった。そもそも書類がアラビア語だったので解読もできなかった。

それからしばらくは仕事をしながら、「アラブの春」にケツ道をあげ、仮眠以外のほとんどの時間を4画面同時監視とアラビア語翻訳に費やしていた。アルジャジーラのオフィスは燃やされ、映像はしばらく途切れたが、復活したときには、顔がボッコボコになった特派員記者が現れた。そして10日ほどたった2011年2月の夜、「MUBARAK STEPS DOWN」の文字が画面に踊った。

どうやら第二の天安門は避けられたようだ。見届けた私は、4画面を追うのをやめて、普通の女の子に戻ることにした。

その直後に東日本大震災が起きて、すぐさま東北へ飛び、「アラブの春」のことはすっかり忘れてしまった。落ち着いた頃にふたたび観察すると、どんどん様子がおかしくなっていった。

ベン・アリーもムバラクもサレハも失脚し、カダフィは殺害されたが、シリアは悲惨なことになり、そして、あれほど民主化を求めた結果は、「もともと独裁政権をうまく利用しなければ統治不能な地域だった」ということだけが明々白々となり、元の木阿弥どころか、ますます国民にとって厳しい状況になったことは既に知られているところだ。

エジプトは、ムスリム同胞団が政権をとり、その後のクーデターでシシ現政権が掌握しているが、「テロ掃討」の名のもとに国民への締め付けが一層厳しくなり、市民の血は流れ続け、大統領任期は2030年まで延長、「シシは豪華な宮殿に暮らしている」と退陣を求めるデモが起きている。

青年の焼身自殺によって「アラブの春」の火付け役となったチュニジアは、唯一「民主化の成功例」と言われたが、財政が厳しく、現在も若者の失業率は30%台。さらにこの数年でインフレが起きて、物価は3倍に跳ね上がった。市民は「意見は自由に言えるようになったが、野菜も卵も買えず、日々の暮らしは良くならない」とあえいでいる。

おまけに、アルジャジーラが連日「100万人デモ!」「200万人が終結!」と報じていたタハリール広場については、現地を熟知するジャーナリストらから「物理的にそんな大群衆を収容できる広さがない。せいぜい20~30万人のスペース」と伝えられた。アルジャジーラは、たしかにムバラクには屈さず報じたが、「反体制」を扇動するための極端な偏向報道に終始して、相当デタラメな報道をしていたらしい。

***

私はあの時、一体なににケツ道をあげていたのか……。

ただ、わずかな期間で鬼のようにアラブの政治情勢に詳しくなり、同時に日本の若者のデモがいかに甘ったれなのかを理解し、もはや日本には反骨精神というものが存在していないのかもしれない、ということを感じるには至ったが。

ところで、あの時、カタコト英語のチュニジア人からメールで送られてきた「極秘ムバラクペーパー」は一体なんだったんだろう?

その後、リビアでは公文書が公開されて、カダフィがサルコジ元仏大統領に約50億円の資金提供をしていたことが明らかになり、大汚職事件となっていたけど――。

関連記事