私は地方の中流家庭に育ち、腰まで伸びた長い黒髪を三つ編みにして、応接間のピアノで合唱コンクールの課題曲『翼をください』を弾いている、とても安心感のある高校生だった。
小学生の頃はジャニーズが好きだったから、親は、世俗的なものと言ってもせいぜい一般的な男性アイドルが好きな程度の普通の女の子だろうと思い込んでもいた。ところがそれは、大人の目を忍ぶ仮の姿であった。
さあひざまずけ罪人どもよ、処世術という名の宗教にな
欲望まみれの奴らが新しい王を決めやがった
ハリウッドを夢見る10代の若者たちよ
過去の栄光のゴミとなった少女たちよ
最後の祈りはそんな罪人どもに捧げずにとっときな
よし、いいか! ヤバそうなほうへ飛び出そうぜ!
ワルの世界へ! ワルの世界へ!
(Motley Crue “Wild Side”/1987邦訳)

ギヤ~~~ッ♡♡♡ 三つ編みのピアノ少女は、一皮めくれば親に隠れてアメリカのヘヴィメタル・バンド「モトリー・クルー」に血眼で大熱狂していた。
とにかく「めっちゃ悪い」ところが好きだった。当時よく暴力沙汰やクスリの過剰摂取で死にかけるスキャンダルを起こして「世界一悪名高いロックバンド」などと呼ばれており、いまの日本だったらたちまち「作品を回収してこの世から追放しろ!」と言われるレベルの過激な暴れん坊4人組だ。
その過激な悪さが音楽になると、爆発的な快感を引き起こすパワーを持っていて、ラジオで聞いて以来、「あかんやん、これ、カッコよすぎるやん!」とノックアウトされてしまったのだ。当時は全米1位の人気で、音楽雑誌で写真を見てきゅんきゅんし、ビデオテープを買って親の留守中にライブ映像を何度も見た。
特にドラムのトミー・リーが超絶大好きだった。全身タトゥーでどこからどう見てもジャンキーだが、ギリシャ系の彫りの深い顔立ちに190cm近い長身で現れて、ドラムセットごと空中に浮いてグルグル回転しながら狂ったように叩く姿に痺れてしまった。
“金に操られた手先、クソ野郎ども!”
クソ野郎ども~~~~っ!!!
“ロックのためならなんでもやってやるぜ!”
ファイヤ~~~~~~~~~~~~!!!
うおおおお、ワルの世界には生々しい実感がある気がする!
もっとワルの音楽を浴びたい! もっとワルのパワーを体感したい!
むしろ私のワルの部分を曝け出し、そこら中で発揮しまくりたい!
ぐおおお、暴れさせろ~、ファイヤーーー!!!
世間知らずの若い女性が、男性の不良っぽさに憧れて騙されるというのはよくあることだが、私の場合は、自分がモトリー・クルーばりのパワーでめちゃめちゃに暴れまわりたいという願望を抱いているヤバいやつだった。
ただ、そんなことを考えているのを親にバレてはいけないような気がして、爆音の音楽はイヤホンで聴き、モトリー・クルーの雑誌はショパンの楽譜で挟んで隠していた。男子がエロ本を隠すようなものだろうか。

大人は私を当たり障りのないそこそこの優等生だと思っており、私も見た感じはそれに沿っていたが、内面は「悪」と「狂気」と「過剰」と「過激」に並々ならぬシンパシーを抱いていて、髪を振り乱して暴れまわり、こんなピアノ、斧で叩き壊して燃やしたいという妄想を抱いている、脳内ヘビメタ女子高生(文系)なのだった。
象さんでファイヤーー!!!
大学生になり、大阪で一人暮らしするようになると、ますますヘビメタ魂が燃え盛り、ケツ道を上げはじめた。
まず完全に“大学デビュー”して、長く伸ばしていた髪も自分で切ってしまい、ピアスを3つ開けた。タトゥーはそう簡単に入れられるものという認識がなく、そんな店があることもまだ知らなかったのでやらなかったが、ただ「エレキギターを弾けるようになってやる! ファイヤーー!!!」とは考え、意気込んで楽器屋へ出向いた。
で、いろいろ悩んだ挙句、「ぞうさんギター」という、文字通り象さんのような形をした子供用エレキギターを買って練習をはじめた。

モトリー・クルーというより、ジミヘン系のパフォーマンスを目指していた。子供用ギターで。
普通のギターは重いし、手が小さくて無理そうだったのだ。最初の一歩は子供用でも、夢は、ギュインギュインかき鳴らして、最後は叩き壊して燃やすというパフォーマンスだ。だが、なんだかちっとも覚えられず、お蔵入りとなってしまった。
BURRN!!! ファイヤーー!!!
ギターを覚える気は全然起きないし、ドラムセットは買えないし、歌は下手だし、かくなる上は、「やっぱり聴くほうだ! ファイヤーー!!!」と思い、暇があればCDショップのヘビメタコーナーで端から順に曲を視聴しはじめた。
日本で唯一のヘビメタ専門雑誌『BURRN!』のバックナンバーもバンバンさかのぼって購読し、熟読。世界各地のヘヴィで過激で悪い音楽を探し求めていった。

読みながら「こうなりたい。ファイヤーー!!!」と思っていた。
『BURRN!』には、よく付録としてバンドのロゴシールがついていたのだが、それをすべて冷蔵庫に貼っていたので、“女子大生のかわいいお料理コーナー♡”になるはずだったキッチンは、たちまち「IRON MAIDEN(鉄の処女)」だの「MEGADETH(100万の死)」だの「GAMMARAY(ガンマ線)」だの「ANTHRAX(炭疽症)」だの「BLACK SABBATH(黒い安息日)」だの、ひたすらおぞましいバンド名と、ドクロ、ファイヤー、血しぶき、黒魔術、五芒星のマークなどで埋め尽くされてしまった。
バイト代でライブに行くようにもなったが、ヘビメタ友達がおらず、いつもひとりで、ライブ開始までの待ち時間が所在無かった。はじまってしまえば関係なくなるのだが、やはり感想を分かち合ったり情報交換する友達が欲しい。
だが会場に多いのは、バンドTシャツを着た普通の男性か、Tシャツの袖をまくりあげて三角筋をむき出したテレンス・リーみたいな男性ばかりで、女性はたいてい彼氏とセットだ。なかなか話し掛けられそうな人は見当たらない。
そこで、思いついた。そうだ「文通」だ。
ヘビメタ文通、ファイヤーー!!!
当時はまだインターネットが広まっておらず、簡単に仲間を見つけることはできなかった。ただ、趣味の雑誌にはたいてい「文通相手募集」のコーナーがあり、自己紹介とともに住所と氏名が普通に掲載されていて、よく利用してペンパルを作っていた。世の中が今ほどプライバシーにピリピリしていなかった時代でもあった。ヘビメタ雑誌『BURRN!』にも文通コーナーがあった。
こういう時、まずは1人のペンパルとじっくり手紙の交換をはじめるものかもしれないが、ケツ道をあげる私はすべてにおいて過剰、過激ですっかり血迷っていたので、いきなり10人ほどに手紙を送った上、自分の募集メッセージも『BURRN!』に掲載してもらった。
おかげで、来る日も来る日もヘビメタ手紙が届くようになり、次から次へとベルトコンベアーのように返事を書かねばならず、切手代もかかるし、大変なことになってしまった。
文通では、好きなバンドについて紹介しあったり、CDやカセットを交換しあったりした。女性は、「身近にヘビメタ友達がいないので、ぜひ仲良くしてください♪」という感じで、自分の好きなバンドマンのカッコよさを感情たっぷりに綴る人が多く、男性は、複数のバンドについて、この曲がいいとかあの曲は誰がプロデューサーだとか、音楽性、ギターの種類など、マニアックに語る人が多かった。
車椅子のためライブには行けないが、いつも部屋でロックを聴いているという男性は、毎回自分で編集したテープと便箋数枚にわたる解説文を送ってくれていた。かなり幅が広がったと思う。
仲良くなった同じ関西圏のヘビメタ女子とは、やがて一緒にライブに行くようになった。仲間ができると急に勇気とパワーが増し、一緒に出待ち・入待ちをするようにもなる。宿泊先まで追いかけていき、バンドマンと一緒に大阪の町を観光したこともあった。
欧米のロックミュージシャンから見れば、おそらく日本人の女子大生は「ギャル」ではなく「中学生ぐらいの子」に見えていたのだと思う。凶器になりそうなごつい指輪をはめて、手の甲までタトゥーの入ったギタリストが、腰をかがめて優しい笑顔でたこ焼きをおごってくれたことは忘れられない。ケツ道だってあげてみるものである。

エアロスミスのスティーブン・タイラーと、ロック好きとしか思えない服装の私
エアロスミスのメンバーとは二度会うことができて、一度は着ているTシャツにサインをもらったあと、ボーカルのスティーブン・タイラーにハグをしてもらったが、その時も、どうも子供に思われていたようだった。スティーブン・タイラーは、私と同じ目の高さにかがんで、「おお、日本にはロックを愛するこんな子どもが……」と言わんばかりの慈しみの瞳で見つめたあと、やわらかく抱きしめて頭をなでてくれたのだった。
ところで、このときスティーブン・タイラーの全身が白檀のお香のような、とても甘くてスモーキーな香りに包まれていたのが印象的だった。世界的ロックミュージシャンは、お洒落として香りまでまとっているのか、なんてカッコいいんだろうと思った。
さっそく真似して白檀のお香を部屋で炊くようになったのだが、数年後、世の中に詳しい知人にその話をしたら、「それはマリファナのにおいを隠すために焚いているお香だよ」と教わり……社会勉強になった。
ライブで骨盤がファイヤーー!!!
いろんなライブに飛び込んで行ったが、思い出深いのは「世界最速の速弾きギター」とされる「インペリテリ」だ。いま久しぶりに聴いてみると、普通の曲を3倍速で再生しているような感じがして、「なにもそんなにすごい速さで弾かんでも……」とちょっと思うが、当時はケツ道をあげていて、「世界最速! ファイヤーー!!!」と右手人差し指を天に突き上げながら、頭を超高速にブンブン縦に振って陶酔していた。

今日この日まで北欧人だと思っていたら、アメリカ人だった
ライブは、1500人規模のオールスタンディングの会場だった。友達がとったチケットは、整理番号20番台。
「開場したら全力で走って、最前列の真ん中を陣取ろうね!」
そう約束して全力で走り、最前列のど真ん中のフェンスにしがみついた。そこから開演まで30分間、なんとか場所を死守し、いよいよ開始時刻が近づいてくると、それまでばらばらと空間を空けて立っていた人々がどんどん前へと集まりはじめ、ぎゅうぎゅう詰めになってきた。
インペリテリのファンは、右を見ても左を見ても鋲のついた黒革のノースリーブのベストを羽織って、頭をバンダナで巻いたテレンス・リー型の男性が多かった。真後ろのテレンス・リーは、すでに鼻息を荒げて私の肩越しに革手錠をはめた拳を突き出している。
いよいよスモークが焚かれはじめて場内が暗転すると、一気に会場が興奮して地鳴りのような唸り声があがり、全員がステージ中央に向かってぎゅっと詰め寄った。
「ぐえ~~~~っ」
中央最前列にいた私は、1500人(内テレンス・リー率80%)の圧を受けて、胸から下をフェンスに押しつけられ、声にならない声をあげた。次の瞬間、ステージがパーンと明るくなり、目の前にぴっちぴちの革パンツを履いた長髪のインペリテリが!
「っは~~~~っ」
押しつぶされて声があまり出ないが、すぐにドラムの音とともに凄まじい勢いで超高速すぎる速弾きギターの演奏がはじまり、開始5秒でたちまちテレンス・リーたちのボルテージは最高潮に。ガンガン拳を突き上げながら、全員が頭を超高速にブンブン振りはじめた。
「ど……ぐほあ~~~~っ」
フェンスにびったりと身体を押し付けられて息をすることもままならないまま、ど真ん中で、全体が超高速に振動する1500人規模の高圧に圧迫された私は、ただただ「死なない」ということ以外、なにもできなくなってしまった。あばらを折らないように息をすることだけで精一杯で、ステージを見る余裕もない。左右と背後のテレンス・リーには1センチでいいから離れてほしいが、超高速で首を振りまくってぶっ飛んでいる。
「じ、じごく……」
するとどこからかごつい腕が伸びてきて、なんだか私の脇の下をまさぐりはじめた。と思ったら、目の前の世界がぐるりと大回転。あれれ! 次の瞬間、私は宙に浮きあがり、眼前には、押し合いへし合いしながら超高速振動中の1500人の観客たちのうねる光景が広がった。
「え、なんで? 」
ふと右を見ると、至近距離にぴっちぴちの革パンツがある。見上げると、それは熱痙攣でも起こしたかのように腕を振るわせてギターを3倍速で弾きまくるインペリテリではないか。
「え? 私、インペリテリの横に座ってるんですけど」
あっけにとられていると、パチッと目が合った。高速演奏中でめちゃくちゃ忙しそうだったが、たしかに「Are you OK?」みたいな顔をしていた。
不思議に包まれたままステージ上の至近距離でインペリテリの顔を見ていると、次の瞬間、また視界がぐるぐるっと回転して、今度はプロレスラーみたいな巨大な外人警備員の肩の上で、私は米俵のように担がれていた。そして、なすすべなく、数秒後には会場の外へポイッと放り出されたのだった。
押しつぶされて危険な状態だったので、フェンスの中から引っ張り出されて、一旦ステージ上に置いてから、担ぎなおされたんだろう。
助かった。だが、息巻いてやって来たのに、1曲目のイントロでたちまちこのザマとは。まだサビも聴いてないし! 脱落させるのも3倍速、やはり世界最速のギタリストは恐ろしい……。
立ち上がって再び会場の中へ戻ったが、前列はもう大暴れ状態で割り込む隙間がなくなっていた。8割方の人が前方へ押し寄せているので、後ろのほうは空間がかなり空いており、ゆったり楽しんでいる人もいた。もちろんそこからでも十分ステージは見えるのだが、大人しく聞いていてもつまらなかったので、積極的に暴れているところへと再突入していった。
ライブが終わると、友達がすっかり高揚した顔で走り寄って来た。最後まで最前列の真ん中で粘っていたらしい。よく死ななかったなと感心したが、友達に「担ぎ出されていったけど大丈夫だった?」と聞かれて、急に足の付け根のあたりが痛みはじめた。
翌日病院へ行くと、骨盤の一部が折れていた。
それからしばらくスタンディングのライブには行かなくなり、やがてヒップホップの波がやってきて、ヘビメタ風は静まったが――この原稿を書くにあたって、久しぶりにモトリー・クルーの『Wild Side』『Dr.Feelgood』を聞いたら、やっぱりめちゃめちゃカッコいいと思うし、トミー・リーは最高だし、まだこの手のライブで「暴れたい」と思っている自分がいた。
(ケツ道上げるのも骨が折れます)