かれこれ半年間、着物の着付けを習ったのだが、気づけば食事に出かけるぐらいのことは難なくできるようになっていた。
最初は覚えなければならないことが本当に多くて目がまわった。

「半襟(首元にのぞく白い襟)は左右対称に1.5~2.0cmほど見せるのが上品とされる」
「若い未婚女性は、半襟の角度は90度。中年以降は適度に角度を狭める」
「カジュアルな着物はくるぶしが隠れる程度か、それより短めに着る。礼装の場合はくるぶしを隠し、床すれすれの長さに着る」
「着物や帯、帯締めには格があり、場面に応じて適切に選ぶこと」
――他にも、無地の着物は背中に紋を入れれば結婚式に着てもよいとか、徳川家の裃にも使われた鮫肌模様(鮫小紋)は格が高く、3回忌以降なら喪服代わりに着てもよいとかなんとか、とにかくルール、ルール、ルールの重ね着である。
親や祖父母の代から直接教えられる時代でもなく、無知なままではみっともない姿を晒すし、マナー違反もやらかすから学ぶしかないのだが、さすがに
「裏地のない一枚仕立ての着物は、6月と9月のみ着用できる」
という一文を読んだ時は、「着物、バリうざいやん」と思った。
5月でも半袖で過ごすような日があるのに、6月になるまで裏地つきの厚い着物を着なければならないなんてあり得ない……。
よほど顔に出ていたらしく、講師から「でも最近は温暖化で、まじめに守っていたら熱中症で倒れますから、臨機応変に4月下旬から着ても受け入れられます」とフォローされた。
さて、いざ着物を着るとなると、今度は襟元を左右対称に合わせて、ずれないように胸紐で固定するだけの作業がすごく難しい。どこかが歪んだり、押さえ方が甘かったりすると着崩れてくる。生地も重くて、背中に手をまわして帯をいじっていると、腕が痛くなってきて投げ出したくなるほどだ。
それでもなんとか仕上がると、鏡に映った着姿に達成感があふれ、自然と楚々とした動きをしてみる自分がそこにいた。
「楚々」とは、手元の広辞苑では〈1〉さっぱりとしたさま、あっさりとしたさま〈2〉清らかで美しいさまのことだが、私がイメージしているのは、清楚できちんと整っており、上品で、動きや表情が控えめでおしとやかな感じというものだ。
まるで私と違っている!
この原稿を書いている今は、ジャージ姿で椅子の上に胡坐をかいており、凶悪なロックを聴きながら、隙あらば自己主張して場を占有し、この私の話にウケてもらいたいという欲望にまみれているという人間である。それが、ただ着物に身を包んだだけで、なぜか控えめで澄ました表情になり、いかにも慎ましやかに視線を下げて、手指など揃えて “おしとやかな女性”を演出してしまうのだ。
そればかりか、「もともとこういう人格でしたわ」と言わんばかりの態度が首をもたげてきて、もはや「楚々」なのか「厚かましい」のかよくわからない状態となり、複雑なことに、そこに快感を得ている自分もいた。
これが「ハレ」の状態なのだろうか? ほかの女性と話してみても、どうやら似たような心理状態が発生しているらしい。
今は慣れもあり、以前ほど人格が豹変するようなことはなくなったが、あの現象は一体なんなのだろうとずっと気になっていた。
その「楚々とした私」はどこからやってきた?
まず、着物そのものに物理的に身体の動きを制限する要素がある。
身体全体が布で筒状に巻かれているので、歩幅はどうしても小さくなり、内股で円を描くようなすり足で歩くことになる。袖が大きいので、腕は体の横でぶらぶら振るわけにいかず、おへその当たりにそっと置いてお人形のように水平移動する。座るときは正座、椅子に腰かけても背中に帯があるのでリラックスできない。
洋服のように意識せず自由に動こうとすると、たちまち裾がはだけてスネが見えたり、胸元がよれたりして着崩れてしまうから、自然と「着物の型」に自分の身体をはめて動かなければならないところがあるのだ。
それから、着物には伝統的な色彩や文様、さまざまな職人技が織り込まれているために、それを身に着けることで、自分が「日本文化の体現者」になったかのような錯覚に陥るところもある。
日本文化には、もともと「静」「余白」「抑制」「気配」のような独特の美意識があるし、そのような世界観と結びつく人物像は、歌人なり茶人なり能役者なり、男女問わず自分の動きを制御しているイメージがある。
着物の型に自分をはめ込むと同時に、そういった世界観が、着物からするっと自分の中に入り込んでくるような「気がする」のだ。
ここで思うのが、私が着物から受け取っていた世界観には、どうやら「慎ましくある日本女性」というイメージが張り付いているということである。ここが楚々とした振る舞いの出所でもありそうだ。
そもそも「文化を体現する」というのは、文化にしっかり触れることによって、美意識や品位が磨かれてゆき、やがて動作や表情、言葉ににじむようになるという状態だと思う。
その点、私は、「着物を着たぞー!」という高揚感から、ドヤ顔で楚々と振る舞ってみて、なんとなく体現したっぽい気になっていただけ。「ハレ」の非日常感を味わって心躍るという自然な感情もあるのだが、なにかが厚かましくて滑稽なやつだなあと思う。それに、「ハレ」によって引き出される人格が「慎ましくある日本女性」とはどういうことなのか?
自分で分析しておいて、ちょっと恥ずかしいがさらに進めてみたい。
江戸時代~大正時代、「正しくきっちり」着てませんでした
着物と「慎ましくある日本女性」はどう絡み合っているのか。着物そのものの歴史は長い。だが、よくよく調べると、和装業界で「正しい」とされている着方や所作はかなり最近のもので、特に「昔から変わらない伝統」などではないということがわかった。
過去の絵を見ればはっきりしている。例えば、江戸時代の女性は、襟元が大きく抜けていたり、帯の位置が低かったりする。着物の形も現代とは違うが、今よりずっとゆるく着ているのだ。

左の喜多川歌麿「当時三美人」は、当時のスーパーアイドルだった町娘や芸者を描いたものとされているが、遊女絵でもないのに襟がぐわんと開いている。誰も「90度」にぴったり合わせてはいない。
ちなみに、この三人が腕相撲をしている絵もある。

左の女性は膝を折って腰を入れ、手首を内側に曲げてロックをかけている。対する右の女性は踏んじばって手首に筋を立てている。そして、行司役の女性は、立膝を崩したようなラフな座り方だ。
ぜんぜん「慎ましくある日本女性」じゃない。
もう少し時代が下って、大正ロマンを象徴する竹久夢二の美人画を見ると、これもまた現代と違う。

洋装と入り混じって変化している時代性もあるが、襟元も帯もどこか好き勝手に作っているようで、ゆるゆると無造作なシルエットだ。現代では「直してください」と注意されてしまうが、当時は、今よりずっと自由に着崩す感覚が「お洒落」として存在していたようだ。
いずれも気だるさを感じさせるし、やはり「慎ましくある日本女性」とはちょっとニュアンスが違う。
夢二自身、着物はあまりきっちり着るものではないという言葉を書き残していたらしい。
この頃は、まだ女性たちが日常的に着物の裾をまくり上げ、屋外で用を足すような生活感覚とも地続きだった時代である(参照:第397回「ブルマは誰のための服だったのか」)。
現代は「きっちり左右対称に整って、正しく完璧に着ること」を教えられるが、着物が生活着だった時は、もっと自由さがあった。
現代は「型の着物」だが、この頃はまだ服飾文化として「生々しく生きた着物」だったのだろう。
「正しい着姿」はいつ作られたのか
もちろん、昔から礼法や身分ごとの作法は存在したが、それは全国一律の「正しい着付けマニュアル」のように固定されていたわけではない。現代のような「正しい着姿」ができたのは、大正~昭和初期のことだった。
洋服が広まり、着物に携わる職人も仕事を失った時代。着物は、生き残るためにお金持ち向けの「特別な高級品」へと舵を切り、百貨店が「訪問着」「社交着」などのネーミングを作って高級着物の販売を開始した。
やがて戦後の高度経済成長期に入ると、中間層の主婦の中で「入学式、結婚式には着物を着たい」という需要が広まっていく。そこには「ハレの日はやっぱり着物だよね」という感性があったのだろう。
そして、高級品としてふさわしく、着物には「格」が強調されるようになり、「正しく、美しく、適切に」着こなすための形式やマナー、清楚で品のある所作などの「価値」がどんどん盛り込まれていったようだ。
そこにはもちろん、文化的な美意識にもとづく所作が織り込まれてもいるし、伝統的な技法を持つ職人が生き残る道でもあったのだが、やはり生活着として「生きていた着物」からは変貌していく。竹久夢二は、その変化と失われてゆくものに魅力を見出して、女性を描いたのかもしれない。
高度経済成長期に入ると「夫は背広を着て会社へ行き、妻は家庭を守る」という役割分担が一般的となり、明治時代に生まれた「良妻賢母こそ女性の理想」というイメージも定着していた。
やはり、この時代に生き残った着物には、「女性は慎ましくあり、規範に従い、楚々としている」という“戦後中産階級の上品な奥様像”が詰め込まれていたのだとも思う。
「かわいいよ♡」というしつけ
この時代にいた私の母は、「女の子なんだから、口を開けて大きな声で笑うのはやめなさい」と私を叱っていた。女の子は小さく、静かに、慎ましく育てるのが当たり前で、それが娘を幸せにするための常識だったからだ。
母が口元に手をあてて「おほほ」「うふふ」と小さく笑ってみせて、私がそれをまねる。すると「そうそう。女の子らしくてかわいいよ♡」と褒められていた。結局、母がいなくなるとテーブルの上に足を投げ出して、鼻をほじりながら本を読んでいたので、今の私が出来上がっているのだが。
とにかくこの頃の日本社会は、「女の子は小さく、大人しくしていれば、男の人に愛される。それが女の幸せをつかんで生きていく方法だ」という感覚があり、それを「かわいいよ♡」「女の子らしいよ♡」という愛情表現で女性の心の中へ浸透させていく時代だった。
「女性のため」の男尊女卑だ。
そして、女性のなかでは「小さく、大人しく、弱くあること」が男に庇護されるための「魅力」として内面化されていく。「ぶりっ子」「上目遣い」「無知」「ドジ」などそのための“所作”もたくさんあった。
その名残が、着物の文化的な所作と混ざり合い、私のなかで眠っていた「楚々とした私」という実在しないキャラクターを引っ張り出したのかもしれない。
さらに言えば、本来の人格を封じ込めたまま、「小さく、弱く、大人しい私」として生きている女性はかなり多いと思う。
夫の死後、急に元気になって「第二の人生よ!」と本性丸出しに楽しく暮らしはじめる女性の話には枚挙にいとまがない。「おばちゃんとはそういうもの」とか「女性の性質」として語られがちだが、私は、その本当の理由は、それまで本来の自分を封じて、男性に従属する役割を演じ続けていたからだと思っている。
念のために書いておくが、着物が女性差別の象徴だというようなことを言っているのではない。私は着物が好きだし、そこには文化に根付いた独特の美意識、西洋のものとは違う繊細な色彩や、装飾の豊かさが広がっていて感嘆させられるばかりだ。文化として残った「型」そのものを否定したいわけでもないし、そこから広がる美や感性、エンタメの世界は素晴らしい。
ただ、生活着だった時代には、もっと生々しい動きをしていた衣服でもあり、「マイルドな男尊女卑」が作った女性像が付きまとっているところは、振り払っておきたい。
歩幅が小さくなるのは仕方ないとしても、なにも澄まして小さく笑わなくてもいいし、女性はもっと大きく構えて自分を出していけばいいのである。
着崩れたら、ちょいと直せればそれでいい。理想の形はこれからも変わっていくだろう。そうやって、自分の身体で、自分の着物を着ていけばいいのだ。