「芸術家と偏執性~ハンス・ベルメール編」

(2018.6.12連載原稿より)

「人形作家」というジャンルの芸術家がいる。

 日本には、端午の節句やひなまつりなど、もともと人形文化があり、人形供養のための神社も全国各地に存在する。人形浄瑠璃文楽などは、文化的素養の著しく欠けた元大阪市長の橋下徹氏から「つまらない」「人形遣いの顔が見えるのが腑に落ちない」などと公の場で言われて補助金カットを宣言されるなど散々な目に遭った過去があるが、現在も生き残っている。

 昨今の人々の様子を見ていると、五月人形もひな人形も橋下徹状態でどんどん消えていくのではと感じたりもするが、一方で、『ふなっしー』『くまモン』などの「ゆるキャラ」が爆発的にヒットするのは、日本の独特な現象でもある。幼稚化の一途をたどってはいるものの、人形への愛着が根付いているのが日本、ということは言えるだろう。

 このような風土もあって、日本人には稀有な技術を持つ人形作家が何人もいる。一般的にその作風が知られている作家で世界的に著名なのは、昭和風情でノスタルジックな木綿製の子供人形を数多く制作してきた与勇輝氏
 「この人形、どこかで見たことあるなあ」と思い出す人が多いかもしれない人形と言えば、NHK人形劇『新八犬伝』『真田十勇士』を手掛けた辻村寿三郎氏。同じくNHK人形劇『三国志』『平家物語』の川本喜八郎氏などだ。

 それから、私が個人的に本当に好きで、たびたび個展に出向き、作品集を買っているのが、四谷シモン氏球体関節人形というジャンルの、日本における第一人者だ。

 シモンドールは、等身大かそれ以上のサイズのものが多く、気楽に飾れるものではないため、大きな展覧会が開かれない限りなかなか一度には見られない。けれども「人形」というもののイメージを次から次へと破壊する作品ばかりで、いちいち目を奪われる凄さがあるので、もし機会があれば足を運んでみることを強くお薦めしておきたい。

「四谷シモン人形愛展」図録(撮影:篠山紀信)より

球体関節人形とはなにか?

 球体関節人形とは、関節部分が球体になっていて、手足や首などを自由な角度に動かしてポーズをとることができる仕組みの人形のことだ。もともとの人形文化と、日本人の職人気質とが混ざりあって日本独自のジャンルとしてかなり発展している。

 ネット検索すると、最近はゴスロリ系の人形や、3DCGのゲームキャラクターのような目鼻立ちをしたものが多く、コスプレイヤーなどオタク文化との相性が良い。

 いかに関節の可動域を広げて、“人間らしい姿勢”“愛らしい姿”を実現させるか、“自分好みの人形にするか”という「大人のための趣味、遊び目的」が強く、マニアに人気があり、関節ごとのパーツに分かれた制作キットなんかも売られていたりする。

 しかし、もともとは、このような「愛玩」や、「子供・マニア向けのおもちゃ」を目的として生み出されたものではなかった。

ハンス・ベルメールの球体関節人形

 日本にはじめて「球体関節人形」というものが紹介されたのは、昭和40年、雑誌『新婦人』に掲載された、フランス文学者・澁澤龍彦による記事だ。

 当時、この記事をたまたま見て衝撃を受けたという四谷シモン氏が、それまで作っていた自分の人形をすべて捨てて、新たな人形像を模索しはじめたことで、今の日本に広まることになるのだが――その“衝撃”の写真をよく見てもらいたい。

『新婦人』1965年3月号の澁澤龍彦によるハンス・ベルメール紹介記事

 左手前は、むっちりと肉感のある太腿とお尻、ラインをたどっていくと、前屈している女性の後ろ姿に見える。だが、腰の関節から先にあるのは、背中ではなく、反り返って天に向けて突き出された“お腹”。そして、左右の腕が伸びはじめるはずの肩関節から先にあるのは、投げ出された“両足”である。さらに、その“両足”の股の間からのぞいているのは、少女の頭部だ。

 関節から先の体の部位がまったくあべこべに接続されており、あるべきところにあるべきものがない。あまりにも不気味なこのオブジェは、ドイツの芸術家ハンス・ベルメール(1902-1975)が制作した球体関節人形だ。

『THE DOLL ハンス・ベルメール人形写真集』(Pan-Exotica)

 なんとなく、削除依頼を食らいそうな危うさのある作品だが、私の持っている写真集からカラーの様子なんかをためしに掲載してみる。興味のある人は、ネット検索すればもっとたくさんの作品が見られると思う。見て後悔する人もいるかもしれない。と、一応言っとく。

 森の中に立つ、白い靴下に黒い靴を履いた女性の下半身。その腰から上は、胸でも肩でもなく、また“下半身”になっており、地面に立っている側と同じように靴を履いている。

 またある人形は、大きな関節から二本の太腿が両側へと伸びていて、足を組んで椅子の上に寝そべっている。骨盤も、お尻も、腰もない。

 またまたある人形は、頭部からウェーブのかかった金髪が生えており、水色の大きなリボン、白いフリルのエプロンのついたワンピースなどのパーツから『不思議の国のアリス』の少女であろうことは察しがつくのだが、腹も手足も首も、関節ごとにあべこべに接合されており、人間の形状をしていない。まるでバラバラ殺人の遺体だ。

 はっきり言って、怖い。悪夢の世界だ。しかも、バラバラあべこべであるのに、パーツのひとつひとつには、女性らしいなまめかしい曲線や肉感が表現されていて、やたらとエロティックなのである。私がはじめてこの人形を知った時に思ったことは、こうだ。

こんなものを見て、「エロい」と思ってしまって、自分は大丈夫なの?

ハンス・ベルメールは、どうしてこんな不気味でグロテスクな人形を作ったの?

どういう精神状態に入ると、こういう形状を生み出してしまうの?

極度の変質者? 体の部位へのフェティシズム? 死体損壊の趣味?

危ない。すごく危ないし、後ろめたい……写真集、買おう

ナチスへの抗議が球体関節人形を生んだ

 ベルメールは、もともと人形作家ではなかった。このような人形の制作に至るには、明確なきっかけがあった。

 1933年、ナチスによる政権掌握だ。

 1902年、ドイツ領カトヴィツェ(現ポーランド)の良家に生まれたベルメールは、権威主義的で暴君のような父親に厳しく育てられたあまり、反抗して大学を中退、印刷所で働いたあと、ベルリン郊外にデザイン事務所を設立する。当初は、製図や本の装丁を行い、いまで言うグラフィックデザイナー、挿絵画家、そして図版や本の表紙を撮る写真家としても仕事をした。もちろんその頃は普通の絵を描いていたし、普通にお洒落な二眼レフで写真を撮っていた。

ハンス・ベルメール

 ところが、ナチスが台頭し、父親がナチス党員に。するとベルメールは、抗議のために「ドイツ国家に対して有用な労働はしない」と宣言、自分の仕事を捨てて、フリーのアーティストになった。

 そして、手探りで制作しはじめたものが、球体関節人形なのである。

 周知の話だが、当時のドイツには、「優生民族アーリア人種の純血保存」がうたわれ、極端な健康志向が広まり、そしてユダヤ人や障害者らの虐殺へとつながっていった。

 ベルメールは、そのような社会への強烈な批判を表現するために、グロテスクな人形を何体も制作し、自身で写真撮影、『人形』(Die Puppe)というタイトルで自費出版した。

 そしてここから、「あるべき場所に、あるべきものがない」、その違和感や不安感を表現し、見た者をギョッとさせ、心をざわつかせる球体関節人形が次々と生まれていった。

 出発点は、ただの悪趣味や特殊な性癖の発露ではなく、その時代にはびこった優生思想とファシズム、“有用性の認められる、均整のとれた人間”だけを求めて、そぐわないものを排除していった社会風潮に対して、個人として毅然と態度を示したひとりの芸術家の反骨精神だったのだ。

不愉快・不気味なもの、有用でないものは不要か?

 外観の美しさや、愛玩のための姿かたち、機能を追い求めるのではなく、人形を「人の形」から引きはがしつつ、「人」とわからせるオブジェにしてしまうことで、言葉では言い表し切れないメッセージを発した芸術家、ハンス・ベルメール。

「人の体に見えるけれども、あるべきものが、あるべき場所にない」というオブジェを見たときの不安感には、日頃「あるものが、あるべき場所にあるのは、当たり前」という感覚の中にしかいない自分の無意識さをかき回されたし、そこからはじまる「当たり前でないもの」に対する冷酷な無関心さにも突き刺さってきた。

 こんなオブジェは不愉快だ、不気味だから見たくない、それは自由な感覚だと思う。けれども、一見、不快感や不健全さ、危うい偏執性を感じさせるものの奥には、人間の狂気をえぐって見せる精神が宿っていることがある。
 人形作家が人形を作るというマニアックな世界の動機、みなさんはどう感じるだろうか。