「ジェンダーギャップ指数から眺める北欧、ルワンダ、台湾、日本」

世界経済フォーラムが毎年発表している「ジェンダーギャップ指数」の最新版(2023年)を確認してみた。

調査対象146か国で、「政治」「経済」「教育」「医療」の4部門における男女格差状況を数値化したものだが、トップに名を連ねるのは、アイスランド、ノルウェー、フィンランド、スウェーデンなどの北欧諸国で、日本は総合125位、前年の116位から後退。G7では最下位だった。韓国も中国も下回っており、2006年の調査開始以来で過去最低となっている。

特に「政治」の分野が深刻で、衆院の女性議員比率が1割にとどまり、女性閣僚がほぼいないこと、過去に女性首相がいないことが点数を押し下げ、146か国中138位と世界最低レベルになっていた。

また、「経済」の分野でも、管理職に従事する女性の少なさが146か国中133位となっている。

総合125位の日本とほぼ同スコアで並んだのが、126位のヨルダンだ。奇しくも、「王族の男系男子継承を絶対としている立憲君主国」という、世界でも極めて少数派の「お仲間」である。

「ジェンダーギャップ指数」は、客観的に日本の姿を眺めるための材料の1つで、特に女性閣僚の少なさは「見慣れてニヒリズムに陥っている場合じゃない、本当にまずい」と自覚するきっかけになると思うが、収集されているデータは、世界各国の国情や実態を踏まえたものではないということには注意が必要だ。

以前から、上位に名を連ねるアフリカの国ルワンダが「女性議員が6割、世界一」として持ち上げられており、今年になってからもメディアで取り上げているが、ルワンダで女性が社会参画するようになった直接的なきっかけは、1994年の民族大虐殺で男性が大勢死んだことだ。

ベルギーが統治していた時代に、もともと平和だった民族同士の対立を煽るような政策が敷かれ、ナタで隣人を殺害するような大虐殺につながった。その結果、多くの男性が死んで、人口の男女比が3:7にまで偏り、働き手がいなくなったのだ。

それまでルワンダの女性は、子供を産み家事をするための存在で、勉強は許されず、財産を持つこと、銀行口座を持つことさえも許されていなかった。だが、女性が動かなければ国が立ち行かない現実にぶち当たり、カオス状態で急激な女性の社会参画がはじまったわけだ。

それから30年たち、大虐殺の記憶のない世代が中核を担いはじめるようにもなって、若い女性が主体的に政治に参画したり、キャリアアップに励んだりするケースが増えている。

ただ、ルワンダの場合、主にそれは都市部での現象である。首都キガリについては、「アフリカのシンガポール」という呼び名で、近代的な都市で活躍する女性も多いという持ち上げられ方をするのだが、農村部では、多くの少女がレイプ被害や早期結婚を経験しており、父親の違う子どもを数人抱えて、定職のない貧困のシングルマザーも多いという現実があるのだ。

女性議員の人数だけに着目すると、そんなギャップを覆い隠した「ジェンダーギャップ指数」に踊らされてしまう。

男女格差の少なさで、毎年「ジェンダーギャップ指数」のトップクラスに名を連ねているのは、アイスランド、ノルウェー、フィンランド、スウェーデンなどの北欧諸国だ。

いずれも社会民主主義の思想が強く、平等主義・合理主義・個人主義の傾向がある。基本的には日本の専業主婦のような立場を許容しない国々で、税金がとても高い代わりに福祉が充実しており、大学まで学費無料、未成年の医療費無料、住居手当など手厚い。産休や産後の職場復帰に完全な待遇をしない企業には罰則が課される法律があったり、育児休業が母親だけでなく、父親にしか認められない期間があったりする国もある。

コロナ禍でよく注目したスウェーデンは、ウイルスに対して徹底した合理主義を発揮して、世界中にバッシングされてもマスクの効能に懐疑的な姿勢を貫いたし、憲法を守り、国民に乱雑な規制をかけることはしなかった。

死期の高齢者を人工呼吸器で延命することを良しともしない。そこには、赤ちゃんの時から個室に1人で寝かせ、子供には「個人としての自立した考え」を促し、老人になったら自立したまま死ぬべきだという徹底した感覚が国民に根付いていたという背景もあった。

スウェーデンは、国家理念として「男女平等・人権尊重・個人尊重」を掲げており、離婚率は47%と高い。「我慢が必要ならすぐ離婚」という言葉があるそうで、どちらかの意思があれば離婚成立し、慰謝料はなし。別れた両親が近くに住んで、子供と交流するスタイルが多く、異母・異父の兄弟姉妹がどんどん生まれて、家族関係が複雑化しがちらしい。

その複雑な家族全員を集めてパーティーをすることもあるらしく、女性が男性の稼ぎに依存しないことと、高福祉がベースにあるからこそとは言え、日本人とはかなり感覚が違うと感じる。

「産休や育休が徹底していて素晴らしい」「福祉が充実していて素晴らしい」という点にばかり憧れを抱き、「男女平等・人権尊重・個人尊重」というイデオロギーに感化されても、日本の中小零細企業に導入できる制度なのか、高福祉のための高負担に耐えられるのかという現実との大きな乖離がある。

北欧でもう1国、ノルウェーは、「クオーター制」発祥の国だ。

クオーター制とは、人口比に応じて、一定数を割り当てて確保する方法である。北欧は比例代表制の国ばかりだが、1973年にノルウェーの与党だった民主社会党が、比例代表の名簿を男女交互に記載する「50%クオーター制」を導入した。それが各党に広がり、1978年には男女平等法が制定され、内閣は男女半々が当たり前、企業の経営層の男女比もそれに続くとともに、北欧各国に広がっていった。

この「クオーター制」を導入した国で、私が気になっているのは、台湾だ。

台湾は、もろもろの事情で「ジェンダーギャップ指数」のランキングには入っていないが、政治の世界では、女性が多数活躍している。5月20日で退任だが、8年間台湾を率いた民進党の蔡英文は女性、新副総統の蕭美琴も女性だ。台湾の議会、立法院は全体の4割以上が女性議員で構成されている。

台湾のクオーター制では、地方議会では、選挙区ごとに「4つの議席のうち1つは女性でなければならない」と定められており、男性が4人当選した場合は、4人目が、女性候補者の中の得票数1位と入れ替わる。また、比例代表については、各党の議席のうち女性が2分の1を下回ってはならないと定められている。

クオーター制の仕組みをはじめて知った時は、「それだと政治の能力がなくても女性なら当選できるという変な状況も起きるのでは?」という疑問を持ったり、「でも現職議員って、どうにもならん男連中がいっぱい当選してるもんな」と思ったりした。

実際に制度を導入して30年経った台湾は、現在、ほとんどの女性議員がクオーター制ではなく自力の得票数で当選しており、2022年の統一地方選挙では、当選した女性342人のうち、クオーター制による繰り上げは4人にとどまっているという。

日本では、2018年5月に「日本版パリテ法」と言われる「政治分野における男女共同参画推進法」が成立し、施行されている。パリテは「同数、均等」という意味だ。「男女同数」ということになるが、日本の各政党には、ひとまず「候補者に占める女性の割合を2025年までに35%とする努力目標」が設定されている。

 だが、日本版パリテ法施行後の衆議院議員総選挙(2021年)を見ると、目標を達成できているのは、社会民主党(15人中9人で60%)と共産党(130人中46人で35.4%)だけ。立憲民主党は18.3%、自民党は9.8%だった。

衆議院議員総選挙における候補者、当選者に占める女性の割合の推移

男女共同参画白書 令和5年版(内閣府)より

あくまでも努力目標であって、各党に制約や罰則があるわけではないが、そもそも「女性の立候補者をそんなに見つけられない」という現実があり、当選者=女性の議員数はそれに類する状況ということではないのだろうか?

共産党には女性候補者を見つけられるが、自民党には見つけられない理由ってなんなのか?

 候補者が均等に見つからない国で、当選者を男女一定割合で決める制度は可能なのか?

 法律で男女比を取り決めてよいのか?

 日本の女性の地位向上が遅れていく原因はなにか?

 日本の女性をめぐる現状を眺めながら、考えることがいくつか浮かぶ。

本来は、「ジェンダーギャップ指数が他国より低いと言われたから」という感覚ではなく、「このまま男尊女卑の感覚にしがみついていたら、もう日本が沈没してしまうから、変わらなければダメ!」という意識で考えなければならない問題だと私は思っているが、今回は、他国の様子を日本人の目線でかいつまんで眺めながら、日本の「女性活躍」とはなにかを考える材料の1つになればと思う。