「オルレアンのうわさ」

「シンガポールで、街のブティックに入った観光客の若い女の人が姿を消す事件が起きているんだって。試着室に入ると目の前の鏡がくるっと回って、その奥にあった通路に引きずり込まれて、そのまま売り飛ばされてしまうらしいわよ!」

1990年、私が中学校に入学してすぐの頃、卓球部の先輩からこんな話を聞いた。その頃はまだ一人で洋服を買いに出かけることはなかったが、母親と一緒に結婚式に出席するためのワンピースを選びに行き、試着室に入ったことがあった。あのカーテンの中に入って一人きりになった瞬間、鏡がくるっと反転するなんて。シンガポール怖すぎる……! 震えた私は、帰宅して母にこの話をした。母は言った。

「あら、そ~お、怖いわねえ。あなたもこれから年頃のお姉さんになっていくんだから、気をつけないとだめよ。浮かれて一人で外国なんかへ出かけていったら、誘拐されてそのまま一生奴隷にされてしまうんだからね」

外国なんか絶対一人で行ってはいけないなと強く心に思った私は、次の日、同じ話を自分のクラスの友達に威勢よく語っていた。

「試着室の鏡がマジックミラーになっていて、奥から闇の組織が女の人の様子を観察してるんだって! 若くてスタイルが良くてかわいいと思ったら、鏡をくるっと反転させて、奥の通路へ引っ張り込むらしいよ!」

「えええ、怖い!」

「何人もいなくなってるらしい。私たち、ちょうど狙われやすいし、怖いよね。奴隷にされちゃうんだって」

私たちって若くてスタイルが良くてかわいいから狙われやすいよね、という自画自賛もふんだんに盛り込みつつ、私は想像性豊かに、話に枝葉をつけていた。小学生の頃から恋愛小説や4コマ漫画を書いてクラスで回覧させて遊んでいたタイプで、刺激的に話して注目を引こうとする意識が強かったのだ。

別の友達にもくりかえし話していくうちに、「マジックミラーの奥の通路は、裏路地とつながっていて、そのまま車の後部座席に運び込まれて連れて行かれる」「試着室の床が抜けて、犯罪組織が待っている地下室へウォータースライダーみたいに滑っていく。荷物もろとも消えるから一切証拠が残らない」など、どんどん大掛かりにもなっていった。

友達がどこまで信じていたかはわからないが、私はひたすら印象深く話すことに夢中になり、しばらくは、近所の憩いのショッピングセンター「ジャスコ」(現イオン)の庶民的な試着コーナーですら、暗黒のオーラをまとった魔窟のように感じていた。

いろいろに消えて、いろいろに発見された女性たち

あれ、自分が知ってるバージョンとちょっとディテールが違う、と思った方もいるだろう。この「ブティックの試着室で若い女性がさらわれる」という話は、日本中で広まった「都市伝説」だ。

高校生になると、「失踪した女性は、数年後、中国の農村で手足を切り落とされたダルマになっているところを発見されたらしい」という後日談のついた別バージョンを聞いたが、舞台となるブティックはシンガポールではなかった。

ほかに、「カップルで香港を旅行中、狭い裏路地のブティックで彼女が試着室に入った。彼氏が店の外に出て、しばらくして戻ると、彼女は忽然と消えており泣き寝入りするしかなかった」「パリのブティックの試着室で若い日本人女性がいなくなり、気が付いたらモロッコで鎖につながれていた」「中国の秘境で手足を切り落とされてダルマになった女性が見世物小屋にいた。近づくと、『私は日本人です、さらわれてここにいます、助けてください』と言った」「臓器を売られた」「アルジェのカスバで鎖につながれた売春婦になっていた」……などさまざまな派生バージョンがあるようだ。ネットの質問掲示板には「40年前に新聞で見ました」「海外のテレビで見た」「現地の人から聞いた」などのコメントも散見される。

いまになってみれば、「そんなすごい誘拐組織があるなら、新聞テレビで大報道されているはずだ」とか「外国人観光客が何人も失踪しているなら、国際問題として政府が動くじゃないか」とか、信じる前に真偽をチェックする思考をはたらかせることができるが、この手の都市伝説は、パニックを起こしたり、なにか大きな風評被害を及ぼすわけでもなく、庶民のあいだでただ楽しまれて済んでいくものでもある。

私の母は、興奮した様子で話す娘を見て、そんなの嘘でしょとわかっていながら、「一人で浮かれて海外へ行ってはだめ」「ふらふら買い物していたら危ない目に遭う」という呪い……いや、印象深い忠告を私の心に埋め込むために、都市伝説を利用したのだろう。実際、私は、お年玉をもらっても“危険極まりないブティック”には入ったことがなく、たいてい安全そうな書店で本を買っていた。海外にはとても一人で行こうとは思えない。どこまでが都市伝説の効果なのかはわからないが、安心を求める母としては、満足かもしれない。

うわさは若い女性の海外旅行増加と共に発生していた

「ブティックの試着室で失踪する」という都市伝説は、1980年代初頭に広まり始めたとされている。1960年代に海外旅行が自由化され、新幹線や高速道路が開通、1970年代になると海外旅行者数が急増し、成田空港が開港。若い女性を対象にした海外旅行のパックツアーなども増えていった。

法務省の出入国管理統計によれば、1964年の時点では20~24歳の海外渡航者数の内訳は、男性13,935人、女性8,756人だったが、みるみる急増すると共に、1975年には、男性130,802人、女性141,314人と男女比が逆転。そして、1990年になると男性487,875人、女性870,202人となり、若い世代では、男性よりも女性のほうが2倍近くも海外旅行に出かけるようになっているのだ。

この当時に広まったのが、「若い女性が海外で事件に遭う」といううわさ話なのだから、やはり私の母のように、「遊びに行くのはいいけれど、用心もしなさいね」という戒めの意味を込めて流布した人、嘘とわかっても否定しない人も大勢いたのだろう。嘘・不確かなうわさはすべて悪、というわけでもない。

だが、この都市伝説の元ネタを辿ると、とてつもない大事件の起きた過去があった。

「試着室で消える……」の元ネタ「オルレアンのうわさ」

日本人の間で広まったこの都市伝説の原型がある。フランスの社会学者エドガール・モランの調査論文『オルレアンのうわさ』に描かれている、フランス中部の都市オルレアンで起きた「女性誘拐」のうわさ話だ。

エドガール・モラン著『オルレアンのうわさ』(みすず書房)

1969年5月、オルレアンの女子高生の間で、街の中心部にあるブティックの試着室に入った女性が姿を消したといううわさが流れはじめた。うわさは、母親、女教師など主に女性を介して街中に広まってゆき、その過程で姿を消した女性の人数は60人に膨張、誘拐事件の現場として挙げられたのは1軒から6軒へと増加。この6軒のブティックは名指しされた。どれも若い女性向けのモダンな店で、流行っていた。

6軒のうち5軒はユダヤ人が経営しており、残る1軒も前経営者がユダヤ人だった。そして、このことが理由で、「誘拐犯はユダヤ人」となっていったのである。ユダヤ人の店の試着室に入った女性は麻酔を打たれ、地下室に運ばれていく。その6軒は地下通路で結ばれているのだという。実際にオルレアンの街には、中世以来の地下通路があった。

だが、60人も失踪しているというのに、街では警察も行政も動いておらず、新聞も報道していない。それもそのはず、実際には、行方不明になった若い女性など一人もいなかったからだ。すると今度は、「新聞や公権力が買収されているからだ」といううわさまで発生する。うわさは事実として受け止められるようになり、敵意を見せる大勢の人が6軒の無実のブティックを取り囲むまでになってしまったのだった。

「単なるうわさ」が「デマ」になるとき

オルレアンでは、すぐに反人種主義運動組織がこのうわさについて取り上げ、ユダヤ人に対する中傷だという声明を出した。これが地方紙、中央紙と報道されて、対抗キャンペーンがくり広げられると、それまで信じていた人々が、たちまち「もちろん信じませんでしたよ」などと意見を翻すようになり、ほんの10日のうちに沈静化したという。対抗キャンペーンによって、大勢の人が「自分は差別していた」ということに気が付いたのだ。

もともと6軒のブティックは繁盛していたのだから、オルレアンでは、それまでユダヤ人があからさまに差別されることはなかったのだろう。しかし、大衆の深層心理にはどこかに「ユダヤ人」というレッテル貼りがあり、それがうわさによって盛り立てられていった異様な熱を持つ空気の中で芽吹いて、巨大化してしまい、「単なるうわさ」だったものが、意図的に特定の人を傷つける目的を持つ「デマ」と化してしまったのである。

店が襲われたり、店主が危害を加えられるような野蛮な事件には発展しなかったとは言え、取り囲まれたブティックのユダヤ人オーナー達とその家族が抱いたであろう街の人々に対する不信感、恐怖感はそう簡単に払拭できないだろう。

デマで攻撃する人々への対抗手段は…

中学生の時に聞いた「海外ブティック試着室で失踪」のような都市伝説は、「そんな国際的な大事件、どこも報道していないよ」の一言でたちまち雲散霧消してしまうもので、楽しんでおけばよいタイプのものだが、「オルレアンのうわさ」には、単なるうわさが攻撃的なデマと化してしまった際は、「報道していない」という事実すら「陰謀だ!」と捉えて、事実を「デマを強化するための事実」にすり替えてしまうという教訓がある。

このような段階になると、ただ「ファクト」を検証して真偽の結果を言うだけでは、ほとんど対抗不可能だろう。オルレアンの人々は「それは反ユダヤの差別心だ!」と心の一番後ろめたい部分を突かれたことで、たちまちバツが悪くなった。そこが解ければ、「報道していない」「警察も動いていない」「行方不明の人などいない」という事実を自力で正しく認識できるようになる人が多いわけだ。

同じように、現在でも、不確かなうわさや攻撃的なデマに浮かされ吹聴している人々がいたら、真実を言うのと同時に、それが差別なのか、無知なのか、あるいは他のなんらかの感情・心理から発せられているのか、その人が恥ずべき後ろめたさを見抜いて言ってやる必要があるだろう。「そんなの非常識だろ」、と。それによってデマに加担する人の増殖を防ぐしかない。

デマには、真実と常識力で対抗する。もし、子どもたちが不思議な都市伝説を語っていたら、「オルレアンのうわさ」の教訓に話を広げてみてあげてはいかがだろうか。

(参考)
松田美佐『うわさとは何か』(中公新書)
エドガール・ラモン『オルレアンのうわさ』(みすず書房)
ジャン・ハロルド・ブルンヴァン『消えるヒッチハイカー』(新宿書房)