(2018.6.25連載原稿より)
今日は知らない人のいない、超著名な児童小説『不思議の国のアリス』の話。
ディズニーアニメをはじめとして、映像作品や映画、絵画、絵本、詩など後世において世界的に相当数の派生作品が作られているが、日本では、画家の金子國義(1936-2015)が挿絵を描いたものが有名だ。

金子國義は、この本のほかにもアリスをモチーフにした油彩や素描など、清純なものから濃艶、エログロなものまで長年に渡ってかなりの点数を描いている。
(金子國義ホームページ https://www.kuniyoshikaneko.com/)
また、写真の世界では、沢渡朔氏がイギリスでオーディションを行って撮影し、刊行した写真集『少女アリス』(1973)が爆発的な人気となり、芸術や思想の雑誌などの表紙を連続で飾った。モデルとなった少女は、日本でチョコレートのCMに出演したり、レッド・ツェッペリンのアルバム『Houses of the Holy』のアートワークにも登場。この写真集は何度も復刻され、45年経った現在でもかなりの人気がある。

(沢渡朔ホームページ https://sawatari-photo.com/)

Led Zeppelin“Houses of the Holy”(1973)のアートワーク
ルイス・キャロルという“変なおじさん”
数々の名作を派生させた『不思議の国のアリス』だが、もとは著者のルイス・キャロル(1832-1898・イギリス)が、知人の幼女アリス・リデルのために個人的に語った即興の物語だった。アリスへのクリスマスプレゼントとして肉筆で書かれた『地下の国のアリス』という冊子がきっかけで、アリスの兄弟や友人たちからも喜ばれ、書籍化に至ったという。
ちょっとヤバめのおじさんだったルイス・キャロル
ルイス・キャロルは作家ではない。イギリスの大学クライスト・チャーチ・カレッジ(現オックスフォード大学)の数学教師で、66年の生涯のうち、54年間を学校の敷地から一歩も出ることなく過ごしたという。
メルヘンチックな児童小説を書く人物なのだから、さぞや“ふわっ”とした詩人風情の男なのかと思いきや……これが相当な変人だったことで有名だ。
まずルイス・キャロルは、日々のスケジュールを分刻みで自己管理しており、午後の散歩の時間まで完全に正確だった。毎日の日記は、その日に会った友人知人の名前、読んだ本、観た芝居、撮った写真、天気や気温などの記録で恐ろしいほどびしっり埋まっている。
さらに、伝染病を恐れて、室内のいたるところに温度計をぶらさげて温度を管理・確認してまわり、自分の書いた手紙にはすべて通し番号を振っていたという。死の前日に書かれた最後の手紙は、なんと98,721番(!)だ。
『不思議の国のアリス』刊行の際は、出版社から届いた挿絵画家のイラストレーションを顕微鏡で確認(!)し、一平方センチメートルあたりの線の数量を確認。そして、出版社に対して、自分の所へ小包を送る際の「紐の結び方」を、図入りで説明する手紙を送りつけたという(もちろんこの手紙にも通し番号つき)。
話だけ聞いていると、笑えるほどすごく変なおじさんだが、編集者としては絶対に担当したくない人物ナンバーワンだろう。
本人は病的に几帳面、物語は度外れて非合理
ルイス・キャロル本人は、常軌を逸した几帳面さで、完全自己管理された人生を送っていたが、描いた物語はその真逆の世界だった。
チョッキを着て大きな懐中時計を持った白ウサギを追って「不思議の国」に足を踏み入れたアリスは、さまざまな冒険を体験して、次々に展開する意表を突いた世界のなかで、身長が伸びたり、縮んだり、徹底して非合理な現象に出くわしていく。
研究者の間では、実はルイス・キャロルには精神異常の病があったのではないかとか、偏執的に几帳面さを求めた行動の背景には、本人が幻覚や幻聴に悩まされていたのではないか、そしてそれがアリスの物語の基礎になっているのではないかとか、さまざまな憶測が語られている。
真実はわからないが、病的に正確さ・厳密さを求めて生きた男だからこそ、度外れて非合理なのに、不朽の名作になってしまう物語を生み出した面があるのかもしれない。
また、ルイス・キャロルは、母親と、普通以上に親密な関係だったことも知られている。子供時代は、愛する母親に溺愛されて幸福だったようだが、クライスト・チャーチに入学してまもなくこの母親が亡くなってしまう。以降、男性とも女性とも親しく交友することは一度もなく、他人を嫌って避けるように過ごし、吃音の症状もあったという。
ルイス・キャロルはすごい写真家だった
もうひとつ、ルイス・キャロルの肩書きとして重要なものがある。彼が「写真家」だったことだ。大学内に自身の写真館を持ち、画家のミレーやロセッティの肖像写真を撮影。装飾的で、絵画的な写真を撮った。

ルイス・キャロル撮影。(左)画家のロセッティの妹と母。
(右)知人の少女をモデルにした「駆け落ち」というタイトルの作品。
これらの写真、なんとなくパチッと撮ったものに見えるかもしれないが、完全に構図からモデルの体の角度から、腕や顎の角度、視線までを指定して撮影されている。なぜそれがわかるのか?
この時代の写真機は、現代とは違って、「コロタイプ」というガラス版を使った技法で撮影されており、一枚撮るのに昼間の屋外でも45秒~60秒は同じポーズで静止させなければならないのだ。
例えば、右の写真のように、屋外で撮るには、まず暗室がわりのテントを担いで行って撮影場所に用意し、その中の暗闇で薬品を調合して、塵一つなく磨いたガラス版に塗り、それが乾かないうちにカメラにセットし、そしてモデルに静止を命じて撮影するという手順を踏まねばならない。
そのため、事前に場所と時間と構図を計画し、カメラの水平を完全に測り、光の角度、陰影、ポーズなどを決定してからでないと、このようにきっちり“作品”となった写真を撮ることは不可能なのだ。
ルイス・キャロルは少女が大好きだった
そして、その写真家ルイス・キャロルが、好んで撮影したものが、少女だった。
『不思議の国のアリス』を贈られたアリス・リデルをはじめとし、かなりの数の少女の写真を撮影している。ほとんどは焼却処分されてしまったらしいが、残されているものは、古いルイス・キャロル研究誌などに掲載されている。

1972年『別冊現代詩手帖』第一巻第二号(思潮社)より。
写真左は、ルイス・キャロルが撮影した7歳のアリス・リデル。
写真右は、ルイス・キャロルが交流していた少女たち。大人のことは嫌って避けていたが、少女たちとはかなり仲良くしていたようだ。
デジタルカメラで何枚でも連続撮影できる現代だって、子どもの撮影は、動物と同じレベルで大変だ。それを1800年代の写真機で、超綿密な計画をたてて、長時間つきあわせ、何十秒も静止しなければならないという条件で、かなり幼い少女を従わせて見事にポーズをとらせて撮影しているのだから、相当な信頼関係があったと推測される。
ほとんど現存していないようだが、なかにはヌードもあるという。
現代の価値観で、過去の時代を裁けるか?
この『現代詩手帖』では、ルイス・キャロルの世界観について、瀧口修造、澁澤龍彦、種村季弘、高橋康也、巌谷國士らそうそうたる美術評論家、文学者たちが論文を寄せて、おおらかかつ鋭く分析して語っているのだが、現代では、こういった幼女を撮影した写真は“児童ポルノ”扱いされてしまうため、撮影はおろか、紹介も難しいようだ。
先に紹介した沢渡朔氏の『少女アリス』も、少女の美しさを幻想的な芸術表現に昇華させて絶賛されたものだが、現代ではもう同じコンセプトで撮影することはできない。
ところで、ルイス・キャロルは、アリス・リデルに対しておびただしい枚数の手紙を送っており、30代の時には、13歳になったアリスに求婚している。当人同士は仲良くしていたようだが、これらの手紙はアリスの母親によって焼却処分されたという。ルイス・キャロルが、日常生活からして相当な変人だったことを考えると、母親の反応も無理もない。
この話から、ルイス・キャロルを「ロリコン」と呼んで蔑む論調もある。たしかにそういう面はあるのだろう。ただし、現代の感覚だけと照らし合わせて、簡単に断罪してしまうのは問題がある。
なぜなら、ルイス・キャロルが生きた1800年代のイギリス・ヴィクトリア時代には、10代の少女と30代の男の結婚は特にめずらしいことではなかったからだ。小説家のエドガー・アラン・ポーは、13歳の少女と結婚していたし、美術評論家のジョン・ラスキンは、12歳の少女と熱愛していた。
大人の世界を拒絶して、完全に自己管理した人生のなかで、少女を愛し、不朽の名作となる児童小説を生んだ男。そんなルイス・キャロルが現代に生きていたら、どんな仕打ちを受けていたことだろう。