「国歌の歴史~日本・イギリス・フランス編」

 オリンピックでいろいろな国の人が一堂に会するなか、自分の国の選手が活躍していると、素直に嬉しくなるものだ。

 表彰式では金メダルをとった選手の国の国歌が演奏されるが、1920年のオリンピック憲章で国歌演奏が規定されてから、それまで国歌を持たなかった国が続々と国歌を作る流れができたらしい。

君が代は 千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔のむすまで

『君が代』は、明治政府が国歌にしたものだ。

薩摩を訪れていたイギリス歩兵隊の軍楽長から、日本を代表するような曲はないのかと言われたことがきっかけで、薩摩藩の砲兵隊長だった大山巌が、幼い頃から親しんでいた薩摩琵琶の古曲『蓬莱山』(動画)の一節を選んだ。

原歌は、『古今和歌集』(905年)に「よみ人しらず」で出てくる長寿を祈る歌だ。

わが君は 千代にましませ さざれ石の いはほとなりて苔のむすまで

(私の敬愛するあなた様、千年先まで永くお元気でおありくださいませ。小さな石がつながって巨岩となり、苔に覆われるほどになるまで悠久に)

『古今和歌集』以降も、さまざまな時代の歌集に再録されており、小唄、御伽草子、浄瑠璃、歌舞伎など広く使われて、本当に千年以上、庶民によって歌い継がれてきた。これほど古い歌詞を、今も歌っている国はほかにない。

「君」は、天皇だけでなく、その時の歌い手が敬愛する誰かのことを想って歌われてきたようだ。歌集によって、表記が「わが君」だったり「君が代」だったりするが、江戸時代になってから、「君が代」のほうが客観的で使い勝手が良いとなり、広く流布されたという。

国歌としてメロディがつけられ、明治13年(1880年)の宮中宴会において、明治天皇の前で奏楽されてからは、「君が代」=「天皇の治世」という意味で浸透した。

 『君が代』のきっかけを作ったのはイギリスだが、そもそも「国歌」の源流は、16~17世紀のヨーロッパの国々で、王室のために献呈された楽曲にさかのぼる。多くは、賛美歌や行進曲だった。

20世紀になって、スポーツの国際試合などで他国の国歌を聴く機会は増えたが、メロディに覚えがあっても、歌詞の意味まで知るものはほとんどない。

だが調べてみると、国歌はその国家のアイデンティティを体現しているということがよくわかる。

 

イギリス国歌『神よ、王を守り給え』

イギリスは、周囲4つの国を征服して強国となった国だ。

4つの国で構成されるイギリスの正式名称は「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」

17世紀は、イングランド王国とスコットランド王国とで1人の王を戴く同君連合の体制をとっていたが、両地域は、同じプロテスタントでありながら、対立が続いた。 

絶対王政を維持するために、国王をトップとした身分制(司教制度)を組織し、支配を強めようとしたイングランド国教会と、一般信者の中から経験の深い長老を選んで指導者としていたスコットランド教会の長老派とが相容れなかったのだ。 

信仰や儀式を強制しようとするイングランド国教会に対して、スコットランドの長老派は、兵力を結集して反乱。

やがて、信仰の自由を求めてイングランド国教会と対立していたピューリタン(清教徒)たちによる内乱へと繋がり、国王は処刑され、共和政となった。

はい、斬首。

ところが、共和政を樹立したピューリタンの指導者が、厳格な軍事独裁政治を行ったため、民衆の不満が募り、共和政はたった10年で終了。

王権神授説による王政が復活して、勢いを取り戻したイングランド国教会が、対立する信徒たちを迫害する時代があり、やがて、国教会制度と議会政治を両立させる「君臨すれども統治せず」の立憲君主制へと移行する。

こういった長年の対立の後、1707年、イングランド王国とスコットランド王国が合併し、グレートブリテン島全土を統治する「グレートブリテン王国」が誕生することになった。

だが、これは事実上、イングランドによる「併合」だった。

工業化の進んでいたイングランドは、もともと周辺国に対して政治・経済の両面で揺るぎない優位を保っていたのだ。国家としてのスコットランドは消滅し、イングランドに従属することになった。

スコットランド側には、恐怖や憎しみが残り、1745年には、スコットランドの反乱軍がエディンバラに入城。イングランド軍を撃破したのち、ロンドンを目指して南下し、イングランド中部にまで到達して政府を動揺させた。

この内乱状況で誕生し、ロンドンの著名な2つの劇場で披露されたのが、『God Save the King(神よ、王を守り給え)』という歌だ。現在のイギリスで、法で規定されてはいないものの、実質的な国歌として歌われる楽曲である。

神よ、我らが慈悲深き王を守り給え

我らの気高い王の永らえんことを

神よ、王を守り給え

彼に勝利を捧げよ 幸福と栄光を捧げよ

御世の永らえんことを

神よ、王を守り給え

汝が選り抜ける進物の

国王に喜びを注がれることを

御世の長く続くことを

国王は我らの法を守り 絶えず理想を与え給え

心と声で歌い給え

神よ、王を守り給え

 「神=GOD」が王に権威を与え、王を守護し、国が守護されているという世界観を賛美し、愛国心を発揚するための歌である。

 国歌のなかで、国王に「我らの法を守れ」と言ってしまうところに、立憲君主制に着地するまでの苦難を感じさせるものがある。

歌の編曲と企画演出を担当したトーマス・アーンは、18世紀のイングランド最大の人気作曲家だった。オーケストラと著名歌手を率いて、国王と祖国への忠誠を表明する演奏会を催し、この歌を披露したところ、これが国威高揚にとてつもない威力を発揮して、たちまち熱狂的な反響を生んだ。

各都市の劇場で上演されるようになり、スコットランド軍の反乱が消滅したあとも、上演が広がったという。

その後、統治者が女性の時代には、タイトルが『God Save the Queen』となり、歌詞も「King」の部分を「Queen」と歌唱されてきた。2022年9月にエリザベス2世がこの世を去り、現国王のチャールズ3世が在位してからは、再び「King」と歌われている。

イギリスの愛国歌『ルール・ブリタニア』

『God Save the King』の歌詞は6番まであるが、紹介した動画では、1番と3番が歌われている。実際に、公式な場所でもこのパターンが多い。飛ばされた2番の歌詞は、こうだ。

主よ、われらの神よ、立ち上がられよ

その敵を消し散らせ

そして、彼らの政治を混乱させよ

彼らの卑劣な策略を挫けさせよ

我らの望みは汝にあり

神よ、我らのすべてを救い給え

もしもイギリス軍が、ウクライナ戦争に実戦で加わってロシア軍を撃退するということになれば、こんなにぴったりな歌詞はないと思うが、たしかに歌いづらそうだ。

だいたいイギリスは、現在も北アイルランドとの間に不安定な要素があるし、EU離脱以降、スコットランドでは独立機運が盛り上がり、何かと政治的対立が報じられている。

 イギリスの国歌は、神と王に対する賛美でありながら、宗教的に対立して征服しきれなかった「国内の敵」が滅ぶよう神に願い、神の名のもとに消し散らすための応援歌でもあったわけだ。

 

ちなみに、『God Save the King』の企画で大成功したトーマス・アーンは、イギリスの超有名愛国歌『ルール・ブリタニア』Youtubeで視聴)の作曲者でもある。

仮面劇に出てくる歌で、「支配せよ、ブリタニア! 大海原を支配せよ。英国民は断じて奴隷にはならぬ」という歌詞だ。

かの「七つの海を支配した大英帝国」というイメージにぴったりの曲だが、イギリス最大の音楽祭「BBCプロムス」では、毎年、最終日のラストに、観客が国旗を振りながら総立ちで大合唱している。

「BBCプロムス」で「ルール・ブリタニア」を大合唱する観客たち(2023年)

 2020年には、世界的な人種差別抗議デモの影響を受けて、この歌の歌詞が「帝国主義的」「植民地主義的」と批判され、「BBCプロムス」では歌詞なしで演奏すると発表された出来事があった。

だが、ボリス・ジョンソン首相(当時)が「信じられない。我々は自らの歴史や伝統、文化に対して恥じらうのをやめるべき」と発言したのをはじめ、国民からも不満が沸騰し、結局、歌詞つきでの演奏となった。

 歌詞の内容だけでなく、キャンセルカルチャーを弾き飛ばしたイギリス人の国民性がよくわかる出来事だ。

フランス国歌『ラ・マルセイエーズ』

イギリスよりももっと好戦的で、残忍で、血なまぐさい歌詞を高らかと歌い上げる曲調により、国家概念に多大な影響を与えた国歌がある。

フランスの『ラ・マルセイエーズ』だ。

行こう 祖国の子らよ 栄光の日が来た!

我らに向かって 暴君の血まみれの旗が掲げられた

聞こえるか 戦場の残忍な敵兵の咆哮が?

奴らは我らの元に来て 汝らの子と妻の喉を搔き切る!

武器を取れ 市民らよ 隊列を組め!

進もう 進もう!

奴らの汚れた血が 我らの畑を満たすまで!

 私がこの和訳を知ったのは、『民主主義という病い』(小林よしのり・2016年)だが、その後、サッカーやラグビーのワールドカップで、フランスの代表選手たちが肩を組み、がなるように歌う姿を見るたびに、

「怖すぎるんやけど。殺しに来るよ、この人たち! 『君が代』で勝てるわけないやん」

と思うはめになった。

 絶対王政時代の軍隊は、国王にカネで雇われ、国王のために戦う傭兵の集まりであったが、フランス革命で国王から主権を奪い取ったフランス人は、世界史上初の、国民によって国を守る「国民軍」を誕生させた。

 革命によって特権階級の持っていた領地と自由を手に入れたものの、対外戦争で負けてしまえばすべてを奪われてしまう。自分たちの自由と土地は、自分たちで守らなければならない。

民主主義的な国民国家の原則により、「武器を取れ 市民らよ 隊列を組め!」と軍隊を持ち、徴兵制を敷いたのだ。

ルソー『社会契約論』

「統治者が市民に向かって『お前の死ぬことが国家に役立つのだ』というとき、市民は死なねばならぬ。なぜなら、この条件によってのみ彼は今日まで安全に生きてきたのであり、また彼の生命はたんに自然の恵みだけではもはやなく、国家からの条件付きの贈物なのだから」

 つまり、「かかって来いや、やられやらやり返す、血には血の報復じゃ! てめえら片っ端からぶっ殺して血の海に沈めんぞ、ゴルァァァァァァ‼‼‼」という士気高揚の軍歌・革命歌として広まったのが、現在のフランス国歌なのである。

 作曲したのは、音楽家で詩人でもあったルジェ・ド・リール大尉。軍隊が流行の替え歌を口ずさんでいるのを見て、これはふさわしくない、新しい国には新しい行進曲が必要だと考え、作られた。

「一晩で作って宿泊先で披露しました」(ラ・マルセイエーズを初披露するルジェ・ド・リール)

その後、マルセイユで行われた「憲法友の会」の集会でこの歌を知った義勇兵たちが、歌いながらパリへと行進。ここから「マルセイユ(軍)の歌」を意味して『ラ・マルセイエーズ』と呼ばれるようになり、新兵は、入隊するなり叩き込まれるようになったという。

オーストリア・プロイセン同盟軍と戦って勝利した際は、兵士が前戦のあちこちで歌ったため、将軍から「援軍と『ラ・マルセイエーズ』の楽譜を送れ」と要望されることもあったらしい。

ナポレオンの北イタリア遠征でも、兵士たちがこの歌を熱狂的に歌いながら勝利したと伝えられている。

ナポレオンが実権を握り、皇帝に即位すると、自分の敵対派が「暴君」の歌詞を歌うことを嫌い、公的な場での歌唱を禁止してしまったが、戦に敗れて退位させられ、島流しになった後、再び皇帝の座に返り咲く際には、パリに進軍するナポレオン軍が『ラ・マルセイエーズ』を歌ったという。

また、フランス軍が敗北し、ナポレオン最後の戦いとなった「ワーテルローの戦い」(1815年)では、ナポレオンの近衛隊も『ラ・マルセイエーズ』を歌いながら最後の突撃をして、壊滅した。

「武器を取れ 市民らよ 隊列を組め!

進もう 進もう! 奴らの汚れた血が 我らの畑を満たすまで!」

わが国を守るためなら、敵をぶち殺すことなど厭わない、残忍な敵には残忍に戦い尽くせというこの歌は、王政を打倒した革命の歌でありながら、軍歌でもあり、フランス人の中に生まれたナショナリズムを盛大に発露し、讃えた、最上の愛国歌なのだ。

この原稿を書いているのは2024年7月15日、ちょうど前日が、フランス革命の皮切りとなる「バスティーユ監獄襲撃事件」が起きた日で、パリでは「革命記念日(バスティーユ・デー)」の記念式典が催され、お祭り騒ぎになっていたようだ。

7月26日からパリ・オリンピックが始まることもあり、式典は、軍事パレードと聖火リレーが融合されたものになっていた。5色のパーカーを来た子供たち数十人が、五輪マークを作って並び、『ラ・マルセイエーズ』を歌うという演出があり、なかなか凄いものがあった。

和訳歌詞をテロップで表示したら、日本で「民主主義護持」を訴えるリベラルな人たちは、一体どんな反応を示すのだろうか。

(2024.715連載稿より)

参考文献:
「国歌 勝者の音楽史」上尾信也
「民主主義という病い」小林よしのり
「社会契約論」J.J. ルソー著/桑原武夫訳