(2018.6.18連載原稿より)
アウトサイダー・アートとは、誰かに師事して専門的な教育を受けたり、画壇デビューしたりすることなく、まったく一個人の創作として生み出されていったアートの世界のことだ。社会的に阻害されている人や、障害者、受刑者などの手によるものがすこぶる多い。
この世の中には、誰に見せるでもなく、ただ黙々と創作をしながらすごい才能を爆発させている純粋芸術の世界に生きている人がたくさんいて、ある時、理解者となる人にたまたま発見されて、さらにそれが商業的に成功する要素を持っていたがために脚光を浴びるか、もしくは、ただ寿命が尽きて終了してゆくかというパターンが当たり前に存在している。
日本で最も有名なアウトサイダー・アートは、“裸の大将”山下清だと思う。

昔よく芦屋雁之助が演じるドラマを見た。白いタンクトップに半ズボン、赤い傘をさしてある日誰かの前に現れて、「ぼ、ぼ、ぼくは、おにぎりが、ほ、欲しいんだな」と物乞いする知恵遅れの男は、実は養護施設を抜け出して放浪している天才的な貼り絵画家だった……という実話だ。
山下清本人が書いた『裸の大将放浪記』という日記を読むと、いつ誰からお金をもらったのかという記録が、「夕方、お金を、もらいにいった。お金を、くれるから、あの人は、いい人だ」などなど拙い文章でくり返し綴られていたりして、なかなかリアルだ。テレビドラマってものは、相当に美化したものなんだなと思ったりもした。
ヘンリー・ダーガーのこと
アウトサイダー・アートとして発見され、世界的にものすごい衝撃を与えた人物がいる。
米国イリノイ州シカゴ生まれの掃除夫、ヘンリー・ダーガー(1892-1973)だ。

ヘンリー・ダーガーは、81年間の生涯をほとんどずっと孤独のままで過ごした。
3歳で母親が亡くなり、仕立て屋として生計を立てていた足の不自由な父親に育てられるが、8歳で孤児院へ。すると、普通の子供とは違う見た目や、コミュニケーションがうまくとれないところをからかわれ、「クレイジー」というあだ名をつけられ、いじめられることになった。この頃の影響からか、ダーガーは、幼女に対する強烈な憎悪をつづっている。
その後、知的障害児の施設に移されるが、まともな教育を受けることはできなかった。施設では、虐待がまかり通り、早朝から夕方まで農場で強制労働をさせられていたという。やがて、最愛の父親の死を施設の中で聞かされたダーガーは、この施設を脱走する。線路を伝って250kmを歩き、生まれ故郷のシカゴへ向かった。17歳のときだった。

脱走後は、さらに不遇の人生となった。まともな職は見つからず、シカゴ市内の病院を転々として、掃除夫、皿洗い、野菜の皮むきなど社会の最下層の職につき、わずかな給料を受け取りながら81歳までの64年間を過ごすことになる。
仕事は真面目にやっていたが、生涯にわたって人間関係を結ぶことはできないままだったようだ。すれ違った顔見知りと挨拶する以外は、ただ勤務先とアパートを往復するだけの生活。
カネがなくなってアパートの家賃を滞納するときは、大家を訪ねて「道端で女にレイプされて金を奪われた」と言い訳したという。大家は理解のある人間で「彼にとって、嘘は生きるために必要なものだった」と当時の様子を語っている。
ただし、周囲の人間からは生涯「狂人」「みすぼらしいじいさん」として見られつづけた。
ところが、この「狂人・ダーガーじいさん」にはとてつもない才能があった。

81歳の死の間際、ひとり暮らしが困難になり、17歳から暮らしつづけたアパートを出て施設に移ることになったダーガーは、大家に「家財道具はすべて処分してくれ」と言い残して去る。そして、はじめてダーガーの部屋に他人が足を踏み入れることになるのだが――そこには、おびただしい数の巨大な絵画と、猛烈な分量の小説、大量の絵具、雑誌の切り抜き、資料写真などが積み上がっていたのだ。
ここにひとつの偶然があった。
たまたまこの大家は写真家だった。芸術の素養があったために、部屋に踏み入れて作品の存在を知るなり、あの風変わりで孤独だった老人が、才能ある芸術家だったことに気が付き、これらの作品群を部屋ごと保存することに決めたのだ。
ダーガーの死後、膨大な時間をかけて作品を整理してゆくと、これは『非現実の王国で』というタイトルで、19歳から80歳の死の直前まで延々と描きつづけられたファンタジー絵巻物語&自作小説であることがわかった。
小説は1万5145ページにも及ぶ手書き原稿、挿画数は300枚以上。しかも挿画は、肉屋の包み紙などを貼り合わせたものにひとつずつ水彩画や雑誌や写真からコラージュしたもので構成されており、1点のサイズは2メートルから3メートル60センチもの巻物になっているという前代未聞の超大作だった。
さらに、続編『シカゴにおけるさらなる冒険』という8500ページに及ぶ長編小説も見つかった。

『非現実の王国で』は、ダーガー自身が体験したであろう、子供時代の過酷な体験が、見事なファンタジー作品として昇華されたものになっていた。
小説の主人公は、幼少時にいじめられたことで憎悪の対象になっていた7人の幼女。「ヴィヴィアン・ガールズ」と呼ばれる戦士となったその少女たちは、子供を奴隷とする軍事国家「グランデリニア」と戦争を繰り広げで大活躍し、大人たちに虐殺されている子供を解放したり、機転を利かせて危機を脱出したりする。
現実に存在した困った人物や、信頼していたであろう人物などが、そのキャラクターに見合った役割で登場したりもした。何年も何年も、現実を非現実のなかに投影させながら、ダーガーは、楽園の喜びと戦争・死の恐怖を多彩に描いていたのだ。

物語は、『王国の風景』『戦争に突入した世界』『ヴィヴィアン・ガールズ、スパイとして手柄を上げる』『子供殉教者の死』など章分けされて書き綴られており、ダーガー自身は、物語のなかではヴィヴィアン・ガールズの味方であり、子供の味方である将軍の役で登場している。また、ただのメルヘンではなく、「子供奴隷」たちが大人からの拷問を受けて無惨に処刑されるシーンや、軍隊が血まみれになりながら戦うシーンなどもリアルに描かれている。
ダーガーの描く幼女の体
特徴的なのは、たびたび裸体で登場する少女戦士ヴィヴィアン・ガールズほか、幼女の絵に男性器が描かれていることだ。これは、ダーガーが子供時代からその生涯をとじるまで、人間関係を構築できなかったため、幼女の下半身がどのようになっているのかを知らなかったからではないかと言われている。

また、ダーガーは、「子供奴隷」たちが大人に滅多打ちにされて虐殺される様子を、おそらく医学書を参考にしながら、相当にリアルな絵で何体も何体も描いている。ここまで子供を虐殺するシーンがしっかり描かれた絵画はそうそう存在しない。眺めていると、もし「絵」がなかったら、幼女殺人の犯罪者になっていたのではないか? とすら感じるほどの情熱だ。

孤独なダーガーは「かわいそう」か?
《1971年1月1日。私の生涯において、良いクリスマスなんて一度もなかったし、良い新年を迎えたこともなかった。いま非常につらいが、幸いにも怨恨のような感情はない。けれども、それをどのように感じるべきか》
ダーガーが死の2年前に綴った自伝のなかの言葉だ。
生涯孤独のなかで、「狂人」「クレイジー」と呼ばれつづけながら社会の底辺で過ごし、自室のなかで非現実を創作することだけを唯一の自分の「生」として生きた男。創った作品を誰かに見てもらおうとも、認められようともしなかった男。
ありとあらゆる場面に“権利”や“保護”が叫ばれる時代だが、果たして、ダーガーは「かわいそうな人」だろうか? 「生きているうちに認められていたら、人生バラ色」だったのだろうか?
孤独の苦痛を作品として昇華してしまう才能の持ち主が、もしも苦痛のない、幸福で豊かでにぎやかな人生を送ることになったら――?
作品を創作している時だけが「自由」だと感じて、その才能を思う存分爆発させられる人が、不自由な人生でなくなったら――?
「作品を描かなければ生きていけない」という生を背負った人が、特に切迫感のない豊かさのなかに放り込まれたら――?
人の生き方の千差万別に想いを馳せると、ひとくくりに「権利」「保護」「人権」「このようなかわいそうな人を存在させてはならない」とは言えない私がいる。
物語『非現実の王国で』は、ダーガー自身が体験してきた現実の苦しみや憎悪を、作品のなかへ反転させて昇華し、「非現実」でありながらも、子供を中心とした社会問題や、戦争や死というものをとことん現実的に描写したものでもあった。ダーガーのように生きた人でなければ、生み出せない凄まじい傑作だ。

ダーガーの作品は、あまりにも膨大かつ巨大すぎて物理的に刊行不可能なままだが、部分的にまとめられて画集になったり、ダイジェスト版の映像作品として制作されるなどしている。
また、生原稿は、現在、ニューヨーク近代美術館(MoMA)などに所蔵されている。
イリノイ州の聖人墓地に埋葬されてたダーガーの墓石には、こう刻まれている。
《ヘンリー・ダーガー 1892-1973 芸術家 子供たちの守護者》
