学生の頃、母と二人でイタリア旅行に出かけ、ローマの街をほっつき歩いていたら、古代ローマ時代の円形闘技場「コロッセオ」にたどり着いた。

「うわあ、すごい。歴史のロマン感じる~!」
と大喜びではしゃぎ回り、記念写真を撮る母のとなりで、
「ここで奴隷と猛獣を死ぬまで戦わせて、奴隷が食いちぎられて血まみれになって死んでいくのを、みんな大歓声で見物してたんやな……」
などボソボソつぶやいていたら、母がギョッとしていた。
そのあと、近くの大聖堂で行われていたミサを見学していたら、いつの間にか、母が勝手に信徒の列に並んでいて、しずしずと司祭の前まで進むと、十字を切って、祝福を受けているのでギョッとした。ニコニコして戻ってきた母いわく、「コロッセオが怖かったから、お祈りしてきた~」。
浄土真宗本願寺派の母である。
剣闘士と猛獣の殺し合いに熱狂した場所を、歴史遺産として観光名所化しているローマだが、ヨーロッパの人々が残虐さを娯楽にしていたのは、古代だけの話ではない。
「獣は、人間に食べられるために神がお創りになったものだ」という聖書の教えに支えられながら、合理主義と肉食で繁栄してきたヨーロッパでは、中世の時代、動物を虐待する遊びが大ブームになっていた。
ヨーロッパで大ブームだった「ブラッド・スポーツ」
スペイン北部の街パンプローナでは、毎年7月に、男性たちが闘牛を追いながら、闘牛場まで全速力で駆け抜ける「牛追い祭り」が行われている。
実際には、牛に「追われる」ので、死傷者も出る過激な祭りだが、毎年、動物愛護団体がイチャモンをつけている。
テレビなどでは、赤い布をひらめかせる闘牛士の果敢な姿までしか放映されないが、最終的には、牛をモリや剣で何度も突き刺して、血まみれになって絶命するまでショーが続くからだ。
現地まで見物に行った日本人が、気分が悪くなって「二度と見たくない」と感想を漏らす例は後を絶たない。
動物に血を流させて楽しむ余興は、「ブラッド・スポーツ」と呼ばれている。19世紀末に「動物の権利」を提唱したイギリスの作家ヘンリー・ソルトの著書で広められた言葉だ。動物の「権利」って……と訝しく思うが、本に書いてまで言いたくなるほど、ヨーロッパは凄まじい動物虐待大国の集まりだった。
闘鶏、闘犬などは、日本でも、軍鶏(しゃも)や土佐犬で知られていて、闘鶏はいまも一部地域で行われているが、ヨーロッパの人々は、もっとダイナミックに残虐なことを、そこかしこでやっていた。
馬に乗って駆けながら、生きたまま逆さ吊りしたガチョウの首をつかんで、引きちぎる「ガチョウ引き」。

ヨーロッパ、北アメリカで人気のスポーツで、絵画や絵葉書になっている
目を潰した熊や、雄牛を杭につないでおき、犬を数頭けしかけて、死ぬまで闘わせる「熊いじめ」「牛いじめ」。19世紀ごろまでイギリスで大人気の残虐ショーで、活躍していた犬がブルドッグだ。「Bull」とは雄牛のこと。番犬ではなく、熊殺しのための犬なのである。

王侯貴族から庶民まで、イギリスで熱狂ブームだった熊いじめ。
ほかにも「ロバいじめ」「ウサギ引き」「鶏投げ」「狐潰し」など、げげっと思うほど、あらゆる種類の虐殺遊びがあるのだが、なかでも、「熊いじめ」は、16~17世紀のイギリスで大ブームを巻き起こしていた。エリザベス1世も見物に訪れ、「高貴なスポーツ」とされたらしい。
シェイクスピアの作品にも、熊いじめに関連するセリフがたびたび登場する。テムズ川沿いには、シェイクスピアの劇場のすぐそばに、「ベア・ガーデン」と呼ばれる熊いじめ場が建設されていたのだ。
とは言え、あまりに残虐すぎるということで、議会が2度の熊いじめ禁止令を出しているのだが、雑誌が「毎週火曜は熊いじめの日であって欲しい」と書き立てるなど、命令を無視して続けられていた。
子どもが熊に殺される事件が起きて、熊いじめ場が閉鎖されたこともあったが、別の場所で復活するなど、根強い人気があった。
憂さ晴らしのための「猫の大虐殺」
催し物として楽しまれていた動物虐待のほかに、中世ヨーロッパの庶民のなかでカジュアルに行われていたのが、「猫殺し」だ。
近代フランス史の専門家がまとめた『猫の大虐殺』(ロバート・ダーントン/1990)という本があるが、このなかに、1730年ごろ、パリ市内の印刷工場で起きた騒動が書かれている。労働者階級は、識字率が低かったが、印刷工は文字の読み書きができたので、日々の生活を記録した体験記が残っているらしい。
ニコラ・コンタというその印刷工は、子供時代、パリ市内の印刷工場に徒弟奉公していた。当時は、子供が労働者階級の最下位にいて、一人前と認められるまで、奴隷のように長時間働かされていた。報酬は残飯のみ。台所で食べさせられ、それも、猫も嫌がるような腐った肉片だった。
一方、ブルジョアである親方夫妻は、愛玩用の猫を25匹飼っていて、その猫たちは、自分よりもずっと良いものを食べて、良い扱いを受けている。これが腹立たしい。
そこである夜、親方夫妻の寝室の上で、さかりのついた野良猫の鳴き声をまねて睡眠を妨害してやり、親方に「野良猫狩りをしてくれ」と言わせる。
これを聞いた印刷工場の職人たちは、「反逆できるぞ!」と大喜びで結束し、真っ先に、親方夫妻お気に入りの飼い猫をぶち殺す。さらに次々と猫を捕まえては叩きのめし、大袋に詰め込んで、親方宅の中庭に投げ落とした。その上、瀕死の猫を「被告」として、裁判ごっこをしながら、猫を絞首台に吊るしてみんなで大爆笑……。
この光景に恐怖した親方夫妻の様子を、その後、工場で幾度となく再現して、全員で大爆笑して過ごしたという――。
嫌がらせの儀式と「猫の音楽」
ドン引きする話だが、中世のヨーロッパの庶民にとっては、「なんでそんな可哀そうなことを……」と感じないほど、猫いじめがありふれていた。
ヨーロッパには、共同体の平穏を揺るがす者に対して、嫌がらせをして嘲笑う「シャリヴァリ」という儀式があった。
困り者の家の前に集まって、楽器をでたらめに鳴らしたり、鍋やフライパンを叩いたりして、ドンチャン騒ぎをする。この時に、猫の毛をむしったり吊るしたりして、喚き声を上げさせることもあったらしい。

左隅に、猫をぶん回している人物がいる。
ドイツ語では、シャリヴァリのことを「カッツェン・ムジーク」と呼ぶ。「猫の音楽」という意味だ。語源は、猫いじめから来ているのだろう。
セルバンテスの『ドン・キホーテ』(1605年/スペイン)にも、ドン・キホーテが歌おうとすると、袋に詰め込まれた数匹の猫が唸り声をあげて邪魔するので、剣で殺しにかかるシーンがある。
もともと猫は、魔女の使いとか、魔女の化身とか考えられていた時代もあって、魔力を持った動物だと信じられていた。
フランスでは、新築の家のお守りとして、生きた猫を壁に塗りこめていたらしく、中世の建築物からは、猫の骸骨が掘り出されるそうだ。そんな家、絶対に住みたくないが……。

エドガー・アラン・ポー『黒猫』佐々木直次郎訳は、文体は古いが青空文庫で読める
子どもの頃、エドガー・アラン・ポーの『黒猫』という短編小説を読んで、たちまち黒猫が怖くなったことがあった。
狂った男が、猫と妻を殺して壁に塗りこめる話で、ポーはアメリカ人だが、経歴を調べてみると、両親はロンドンの旅役者で、1800年代初頭はイギリスで過ごしていたらしい。身近に起きた猫殺しに着想を得た作品なのかもしれない。
「都市のそこかしこで家畜を虐待するの、やめれ!」
イギリスの熊いじめは、王侯貴族もお好きな「高貴なスポーツ」だったが、支配階級と労働者階級の生活がすっかり切り離されたことで、やがて、労働者による動物いじめは、「野蛮な人間のやる行為」として支配階級の恐怖の対象となっていく。
自分たちも野蛮じゃないかという話だが、『猫の大虐殺』の親方夫妻が恐怖したように、「労働者による反逆」と感じられたからだ。
動物いじめに熱狂する人々は、酒を飲み、賭け事、売春をして、治安を悪化させてもいた。
さらに、学術的に、人間とその他の動物が、生物的につながっていることが明らかにされはじめ、教養のある人々の中では「動物への残虐性は、人間への残虐行為につながるのではないか」と認識されはじめた。
なかでもイギリスは、産業革命によって人口が急増し、都市部に家畜がどんどん運び込まれるようになっていた。当時はすべてが1か所に集中していて、家畜を鉄道に乗せてロンドンに集めていたのだ。
そのため、ロンドンは家畜まみれ。それが交通の妨げとなり、悪臭の原因となり、イラついた人々が、そこかしこで家畜をぶん殴って血まみれにしていた。
荷車を引く馬も、鞍で保護されずに、直接鎖で巻かれて鞭に打たれていたため、皮膚が破れて血だらけで、脱臼したまま歩かされたりしていたらしい。
おまけにイギリスは、フランス革命に対抗するための対仏戦争によって、社会不安や無秩序に悩まされてもいた。
これはアカン! ヤバすぎる!
……ということで、「フランスで革命が起きたのは、道徳的欠如が原因だ。あんな風にならないために、都市部における家畜虐待の取り締まりが必要だ!」という主張と法規制への動きがはじまり、1822年に、世界初の動物愛護法「家畜の虐待および不当な取り扱いを防止する法律」が施行。
社会統制の文脈から、動物愛護がはじまったのだ。
さらに、法案を成立させたリチャード・マーチン議員は、都市部の秩序と治安維持のために、みずから陣頭指揮をとって動物虐待の取り締まりに奮闘し、1824年には動物虐待防止協会(SPCA)の設立を主導。これが世界最古で世界最大の動物愛護協会のはじまりとなった。
「動物愛護するなら労働者愛護しろ!」
ところが、1822年の家畜虐待防止法は、マーチン議員の奮闘むなしく、死文にとどまった。
家畜を虐待しているのは、主に労働者で、労働者のなかに善意の告発者がいなければ摘発できない。だが労働者は、ブルジョワによって虐げられている存在で、「資本家さんは、動物虐待の防止には熱心なのに、労働者の虐待には無関心ですね」という感覚だったのだ。
一方、世界初の動物虐待防止協会(SPCA)の創立メンバーは、イギリスの奴隷貿易廃止法(1807年)の立役者や、のちの奴隷制廃止法(1833)を成立させる人物らが中心となっていた。
動物愛護精神は、黒人奴隷の解放とつながっているのだ。家畜も植民地の有色人種も、同じ「白人様の役に立つ奴隷」として見ていたのだから、当然と言えば当然である。
奴隷解放論者たちは、イギリスの社会状況を眺め、徒弟奉公として長時間労働させられていた子供たちに着目。
「子供が黒人奴隷のように酷使されている!」「イギリス人よ赤面しろ!」
と世論を喚起し、扇動して、労働者たちの拍手喝采を受けるようになっていた。
そして、「奴隷制度は廃止されようとしている。家畜も大切にしようというのなら、僕たち労働者も大切にしてほしいよね!」という圧力が生まれ、これを資本家が受け入れて労働時間規制などが生まれ、バランスをとっていったというわけだ。
以上、まとめると、イギリスにおける世界初の動物愛護精神には、次の3つの要素が含まれている。
1.それまで当たり前だった自分たちの動物に対する残虐非道で野蛮な行為が、都市化されたことで、ものすごく目立つようになり、なおかつ日常茶飯事になりすぎて気持ち悪くなったこと。
2.労働者が動物を虐待しまくってゲラゲラ笑っている姿と、フランス革命の暴動とが重なって、支配者階級が「労働者階級、マジヤバすぎやろ」と恐怖したこと。
3.家畜も黒人奴隷も一緒くたに見ていた白人が、子供を奴隷同様に扱う支配者階級と労働者階級にきっぱり分かれて反発が生まれたこと。
動物愛護と言っても、結局は、近代化によって出てきた感覚で、「残虐なことは見たくないからやめなさい」「怖いからやめなさい」「私たちが『かわいい』と感じる動物に対して、ひどいことをするのはやめなさい」という話であり、人間の性やエゴと切り離すことはできない。
いまも都市を行き交う人の目には入らない場所で屠畜が行われ、食肉として流通していることには変わらないのだから。
ましてや、イギリスの歴史から生まれた「動物愛護精神」を、まったく歴史の違う国に押し付けられても困る。
動物愛護精神から発祥した「動物権」というカルト(vol.496)は、世界各地に跋扈していて、今では、甲殻類の調理法規制にまで及んでいる。
2017年には、オーストラリアで、生きたロブスターを解体していたレストランが有罪判決を受けた。
2018年には、スイスで動物保護規定が見直され、ロブスターを生きたまま熱湯で茹でることが禁止された。
そして、2021年には、イギリスで、「甲殻類や軟体動物に苦痛を感じる知覚がある」とする報告書がまとめられ(!)、動物福祉の保護対象に加えられている。そのうち、エビ、イカ、タコ、貝類の調理法に規制が入る見込みらしい。
ヨーロッパよ、勝手にやってくれ。でもそれ、どこまでゆくの――。
(2024.8.27連載原稿より)