見えない《人手不足》と《外国人排斥》の誤解

その嫌悪感は「セルフレジ」のせいなのか

 私の家から一番近いスーパーは、流通大手のショッピングセンターだ。
 このショッピングセンターの食料品売り場には、レジ打ちの店員が会計作業をしてくれる「有人レジ」が8台あった。だがこの3年で、有人レジは撤去されて2台に減り、空いたスペースに、客が自分でバーコードを読み取って会計する「セルフレジ」が20台設置された。
 セルフレジのコーナーには、中央に全体を見渡す番台のような場所があり、管理役として店員が2~3人立っていて、20台の会計をモニタリングしている。操作中にトラブルが起きると、補助をする仕事だ。


「機械の操作がわからーん」
「お金はどこに入れればいいんだ?」
「バーコードを2回読み取ってしまったから取り消して!」


 操作をミスして困惑している人、イラついた様子の人をよく見かける。
 私はセルフレジにすっかり慣れてしまったので、有人レジの列に並ぶことはなくなった。だが、本心ではどうしても拭えない嫌悪感がある。セルフレジは、監視されているのだ。
 レジの前に立つと、目の前に監視カメラ2台とモニターが設置されていて、1つは私の顔を、もう1つは私の手元を映し出している。セルフにする以上、万引き防止の仕組みが必要だからだ。

 理屈はわかる。だが、どうしても嫌な気分になってしまう。機嫌が悪いと、レジの管理役の人たちも、まるで自分を監視・監督している「敵」のように思えてくるのだ。「なんなのよ一体」と。
 血気盛んな70代の母は、セルフレジには相当ご立腹のようで、たびたび文句を言っている。

「カゴいっぱいの野菜やら肉やら調味料やら、1つ1つバーコードを探して、いちいち読み取らないといけないし、機械が急に止まることもあるし、クソッと思ってモニター割ったろかと思うことあるわ! 大体こっちはお金を払う客やのに、なんで働かされるわけ!? 腹立つ!!」

 会計を済ませると、機械から「ありがとうございました」という音声が流れるが、人間の店員からは一言もそう言われないので、余計に腹が立つらしい。
 たしかに、挨拶がなくなったことや、総じて「不親切になったこと」は、私もはっきり感じて不満に思っていた。
 スーパーに限らず、セルフレジを導入した店は、会計の際に人と接することがないし、駐車券やサービス券の受け取り方を教えてくれる相手もいない。
 以前なら、会計後、お釣りや品物を受け取る際に、それを用意してくれたことに対して、こちらが「ありがとうございます」と言葉を返したり、会釈したりすることもあったが、そういうやり取りも消滅してしまった。
 母の年代だと、私以上に機械の操作がわかりづらいし、人とのコミュニケーションが消えたことを「寂しい」と感じて、余計に「セルフレジ」に当たりたくなる心理になるのかもしれない。

「不親切」になったのではない。「余裕」が消えたのだ。

 だが、ある出来事がきっかけで、今の私からは「不親切になったこと」を不満に思う感情がすっかり抜けてしまった。

 ある日のこと。
 野菜に貼られていたバーコードがしわくちゃで、何度やっても機械が反応しないので、イライラして大きめの声で管理の人を呼んだ。すると、それまで中央の番台に立っていた年配の女性が、私のところへ近づいてきたのだが――歩き出す様子を見て、はじめて、足の不自由な人だったことがわかったのだ。
 体を大きく片方に傾けて、バランスを取るように揺れながら、ひょこり、ひょこり、と一歩ずつゆっくりと歩いている。勤務中は両手を使う必要があるから、こうして歩いているが、普段はきっと杖を支えにしている人だろうと想像できた。
 女性は手際よく私の野菜のバーコードを読み取ると、また別のレジの客から呼ばれて、ゆっくり歩いていった。イライラして、ちょっと横柄な気分で呼び出した自分が恥ずかしくなってしまった。

 帰り際、セルフレジの管理役の人たちをよくよく見ると、先ほどの女性のほかに2人いて、2人とも70代とおぼしき、すこし背中の曲がった小さな女性だった。
 その後、ようやく、別の日、別のスーパーのレジコーナーでも、同じような光景が広がっていたことに気づいた。

 夜になれば、元気な学生アルバイトも現れるのかもしれないが、ほとんどの時間、スーパーのレジは、高齢の女性や体の不自由な女性がメインで回っている。自分自身が殺伐さに負けて、そのことに無神経なだけだった。

人手不足とは、現場が綱渡りになることだ

 そもそもセルフレジが増えたのは、そこで働く人がいないからだ。
 セルフレジの管理をしている人は、たった2~3人で20台ものレジを管理してトラブルに対処している。人員が足りないのに、客は大勢いて、みんな時間に追われて急いでいる。
 そんな状況で「不親切になったね」「挨拶もなくなったわ」と不満を持ったところで、店側としては「丁寧に接客したい気持ちはやまやまだけど、そんな対応をしていられる余裕がない」というのが本音だろう。
 「人手不足」という単語そのものは、メディアでよく見聞きしていたのに、目の前で起きている変化とは、まったくつなげて考えられていなかった。それがようやく理解できた出来事でもあった。
 食料品の小売という社会を支える重要な仕事であるはずなのに、現場はギリギリで、無理解とリスクを抱えたまま回っている。

「外国人がいないとまわらない」仕事があるのに倒産増

 2025年は「人手不足」が原因で倒産した企業が427件で、前年から25%増加し、過去最多を更新したという(帝国データバンク「人手不足倒産の動向調査(2025年)」)。
 小売り・接客サービス系、飲食店などは特に影響が強い。
 行列のできる人気ラーメンチェーン店でも、限界まで時給を上げて求人しても応募がなく、やむなく複数の店舗を閉鎖したり、営業時間を短縮したりということが起きている。

 飲食店は仕込みもあって働く時間が長く、料理をする人・接客する人の「思い」や「おもてなし・サービス精神」の比重がかなり大きい仕事だが、「もっと良い条件で稼げる仕事がある」という話になると、人が辞めていき、成り立たなくなるという。
 
 建設業も人手不足に悲鳴を上げている。
 東京では不動産価格が異様に吊り上がっていて、「50年ローン」まで組んでマイホームを買う現役世代が出ているとニュースになっていたから、「建設業=安泰」のイメージだったが、いくら仕事があっても、それをやる人がいなければ、存続できない。
 人手不足倒産を防ぐには、より好条件・高収入で人を雇えばよいが、そのためには「値上げ」をする必要がある。
 だが現実には、下請けの中小零細企業が、元請けの大企業に対して金額を交渉しづらいという構造があったり、公共工事を長期契約した後に人件費や材料費が高騰して圧迫されたりというケースが多いという。

 仕事上、建設関係の実態はよく聞く機会があるが、とにかく「外国人がいてくれないと回らない」という話ばかりだ。
 外国人を雇い入れるにも、住まいを用意したり、作業のほかに言葉やマナーを教えたりと、最初はなにかとコストがかかる。それでも必要に迫られて雇うのだが、ようやく仕事を任せられると思ったら、ぱったり姿を消してしまうこともあるらしい。それでガックリ来ても、また新しい外国人を雇って、同じように1から教育すると言うから本当に大変な業界だ。
 「外国人排斥」なんて、この現実から見れば、トンデモでしかない。

ホテルの値上がりの背景にも「人手不足」が

 公論イベントで、東京、横浜、名古屋、大阪、岡山など全国に出かけているが、ホテルも昔とはすっかり変わっている。
 とにかく宿泊費がバカ高いので、毎度「くそ~、円安で日本にやってきた外国人観光客が増えてるせいだな~」と思いながら、旅行予約アプリを使い分けて探すのだが、フロントに人がおらず、パネルを操作して、自分でチェックインやチェックアウトをする「非接触」を売りにしているホテルが増えつつある。
 ホテルや旅館は、円安のために外国人客が増えて儲かっているはずで、コロナで流行った「非接触」をいまだにやっているのかと思っていたが、実は、フロントや調理スタッフ、清掃スタッフなどの確保が間に合わない宿泊施設が多く、調査会社の調べでは、50%以上が「人手不足」と回答しているという。
 それなら、セルフレジのように無人化が進み、サービスが落ちていくのかと思うが、実は、宿泊施設としての営業に耐え得る人手が足りないために、受け入れる客数を制限している例も少なくないというので驚いた。
 それなら値上がりするのも当然だ。

 仮に、全部で100室持っているホテルが、人手不足のために50室だけに制限して営業するとしよう。それでも、光熱費の基本料金や、建物の維持費、ローンなどの支出は変わらないのだから、赤字を防ぐためには、どうしても1部屋あたりの宿泊費を値上げするしかなくなる。

 もちろん、外国人客の需要増によって値上がりしている面もあるが、実はそれだけではない、「値上げせざるを得ない」という深刻な状況に置かれているホテルも少なくないということだ。

 温泉地でも人手不足は同じだ。
 温泉旅館と言えば、湯上がりに浴衣を羽織って、夕食のご当地名物に舌鼓を打ちながらお酒を……というようなイメージがあったが、夕食を出さない温泉旅館も出てきている。料理人や配膳スタッフを確保できず、質の高い食事の時間を提供できなくなっているのだ。

 実際、温泉地では、「朝食のみ」や「素泊まり」で泊まれるプランを提供する旅館が増えている

 旅行予約アプリで、初めて温泉旅館の「素泊まりプラン特集」を見たときは、食事を外で済ませたり、コンビニ飯で部屋飲みしたりする若者客が増えていて、旅館の泊まりかたも多様化したのかと思い込んでいた。

 だが実態は違う。そのようなプランを作って、受け入れ方を制限しながらやっていくしかないという現実が反映されているのだ。(シンガポール「The Straits Times」より

サービスが消えるとき、格差は静かに広がる

宿泊先を選びながら、最近気づくのは、数年前とは看板の掛け変わった宿泊施設がいくつもあることだ。
 人手不足の上に、食材、リネン、修繕などの費用が上がって利益を残せなくなり、倒産するホテルや旅館は多く、それを外資系投資会社や不動産ファンド、大手ホテルチェーンが買収しているのだという。
 昔の「倒産」は、看板が下ろされて廃業し、入口にベニヤ板などが張られて「空き物件」になるので、通行人から見てもすぐにわかったが、今の時代は、「倒産=即買収」の世界である。
 外資や大手が、その資金力で人を雇い、名前を変える。丁寧なおもてなしはやめて、サービスを簡素化し、再オープンする。外から見ていると「リニューアルして、名前も変えたのかな?」という程度にしか思わないが、実は倒産していた……そんなことが、ひたひたと起きているのだ。

 これを、「経営が立ち行かなくなれば、淘汰されるもの。新陳代謝を起こして、業界再編しなければならない」と経済評論として言うことももちろんできる。だが、そのホテルや旅館には、もう「個性」も「おもてなし」もなく、地元との関係も薄れていく。

 そして、これは「格差」が広がっていく、その現象そのものを見ているという側面もあるのだ。再編はされても、公平は失われている。そこは理解しておきたい。

狂乱に加担しないための、ほんの少しの冷静さ

セルフレジの前で感じる苛立ち、外国人がいなければ回らない建設業、ホテルから消えていくサービス、夕食のない温泉旅館。すべて同じ現実の延長線上に起きている出来事だ。
 人が足りず、余裕がなくなり、社会を支える仕事にはしわ寄せが起きて、どんどん擦り減っている。
 ところが政治は、減税やバラマキなど「痛み止め」を撒く程度の話しかできず、出生率の低下、人手不足と労働の現実について、どう捉えて解決していくべきかという重い課題からは目を逸らさせるばかり。
 その典型が、高市早苗の経済認識だろう。
 街頭演説では「今は円安だから悪いと言われるけれども、輸出産業にとっては大チャンス」と語ったらしい。円安のもたらす物価高や、人手不足に苦しむ内需産業への打撃にはおかまいなしで、円安になれば輸出企業の株価が上がるのだから、それでいいとしか考えていないのかもしれない。株価が上がったところで、その富が国民を救うわけではないのだが。

 世界の前提が変わり、日常生活にも「これまでどおり」ができなくなり、歪さが表れている。苛立ちや不安が高まり、つい短絡的に、目の前の「わかりやすい敵」や「わかりやすい痛み止め」に飛びつきたくなる。
 狂乱に流される前に、いま起きている現実を、少しだけ俯瞰して見ること。その冷静さは失いたくない。

(2026.2.3連載原稿より)